
観光シーズンを迎え、この秋も国内外から多くの観光客が訪れる東京駅。そんな東京駅の「丸の内駅舎」が、戦災による消失から半世紀以上の時を経て、元の姿を取り戻した。

いざ、地上に出て撮影と言いたいところだが、今回の撮影は困難を極めた。丸の内駅舎は東京駅の西側に面しており、単純に考えれば順光時間は午後である。
しかし、今回元の姿を取り戻したのは駅舎だけで、今や駅前には高層ビルが林立している。その高層ビル群の影響で、常に日が当たる訳ではないのだ。

気長に散歩をして、駅舎正面に日が当たるのを待つ。

東京駅と皇居を結ぶ「行幸通り」のイチョウは、少し黄葉を始めていた。10月も下旬になり、東京も秋が深まってきた。

日が当たるようになったので、改めて、東京駅の正面にやって来た。この丸の内駅舎は、辰野金吾と葛西萬司によって設計され、1914年に竣工した。再来年に100周年を迎えるのだ。丸の内駅舎は、「赤レンガ駅舎」とも呼ばれるように、鉄骨と赤レンガ、それにスレートなどで出来た洋風建築である。
長年、「アムステルダム中央駅の模造」と言われていたが、辰野金吾と葛西萬司は他にも赤レンガの建物を多数設計しており、駅舎の規模も全く異なることから、模造したと言う説は否定されている。なお、辰野金吾は、日本銀行本店や旧・朝鮮銀行(現在の韓国銀行本店旧館)なども設計している。

それにても、実に和洋折衷な駅である。

細部を見ると、単純な洋風建築ではなく、日本古来の城などにみられるデザインが取り込まれている。

正面から歩いてきて、丸の内南口にやってきた。復原されたドーム天井は、ここ南口と北口の2か所にある。



ドーム天井を見上げる前に、足下を確認したい。南口には、1921年に当時の原敬首相が刃物を持った男(当時の鉄道省大塚駅職員で右翼青年の中尾良一)に襲撃され絶命した場所があるのだ。
ちなみに、東京駅構内には、1930年に当時の浜口雄幸首相が銃撃された場所もあり、昔の首相がいかに命がけだったかが、わかる。

南口のドーム。このように、暫定的に2階建てだった東京駅丸の内駅舎の3階部分が復原された。

駅舎の端から端まで330mあるが、歩いて北口へ。

こちらも人だらけだ。

新青森、秋田、山形、新潟、長野、名古屋、新大阪、広島、博多・・・日本各地からお上りさんが集まる駅である。人が多いのも当然と言えば当然だ。


こちらのドームも基本的には、南口と同じ形をしている。

今回の復元は忠実に再現にしたわけではなく、RC造(一部S造・SRC造)を採用するなどして、構造を強化し、安全性を高めている。

基礎部分においては、大手ゼネコンの鹿島が提案するアイソレータとオイルダンパーを使用する免震工法を全面採用し、災害に強い駅舎に仕上げている。

今回は部分部分でしか紹介できなかった丸の内駅舎だが、南中高度が高い夏になれば、綺麗に駅舎全体を撮影できるだろう。
おしまい。