2014年3月3日 夕刊

1925(大正十四)年一月、東京市電気局(現・東京都交通局)が、当時の鉄道省に免許申請した地下鉄建設計画の公文書が見つかった。財政問題で東京市の地下鉄は実現しなかったが、戦後建設された丸ノ内線や日比谷線、東西線など、現在の路線の原型となった計画。都交通局が十年ごとに刊行する年史に、この地下鉄計画の記述はあるが、都や国立公文書館に申請文書は残っていない。
都交通局の担当者は「年史編さんは過去の刊行物を参照していた。申請書類の現物はなかったので、貴重な史料だ」と話している。
文書の表題は「市営高速度鉄道計画概要説明書」。「高速度鉄道」は地下鉄を指す用語で、鉄道省に提出した申請書に添付した説明書とみられる。埼玉県内の古文書収集家が保管していた。
文書は冒頭で、二三年の関東大震災後に路面電車の乗客が増加して極限に達しているため、六路線の地下鉄建設が必要だと訴えている。六路線の主な経路は(1)築地-人形町-浅草橋-小村井(おむらい)(現在の墨田区)(2)平塚(同品川区)-新橋-上野-北千住(3)恵比寿-東京駅-巣鴨-下板橋(4)渋谷-赤坂見附-日比谷-月島(5)角筈(つのはず)(同新宿区)-東京駅-洲崎(すさき)-砂町(6)池袋-飯田橋-人形町-大島町。
申請後、目黒-南千住など四路線に変更し、二五年五月、免許が下りた。東京市は約二億円の建設費用を電気事業公債で賄うため鉄道省に起債申請したが、政府が緊縮財政の方針だったため認められず、その後、民間の東京高速鉄道に路線免許を一部譲渡した。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014030302000234.html
1号線と2号線の南半分が、今の都営浅草線の原型かなと思いますね
2号線の北半分と3号線の南半分が、今の日比谷線の原型かなw
3号線の北半分は都営三田線の一部でしょうか?
4号線は、銀座線の一部でしょうか?月島に伸びているのは面白いですね。
5号線は、西半分が都営新宿線で、東半分が東西線という趣ですね。
6号線は、西半分が丸の内線で、東半分が都営新宿線という感じかな
この地図のまま、実現していたら、今頃、どうなっていたでしょうね?w
ちなみに、東京の地下鉄の最初は、1929年(昭和2年)に浅草 - 上野間 (2.2 km) 開業したのが最初。