去年の11月の中旬、東京の我が家から自動車で2時間半程の、長野(nagano)県の中南部の高原地帯(避暑地)にある別荘(別荘とは言っても、比較的裕福な人々が保有する様な典型的な別荘ではなく、庶民的な中古の一戸建て住宅です)に滞在した後、鹿教湯(kakeyu)温泉等、松本(matsumoto)(長野(nagano)県中部に位置する中都市)と上田(ueda)(長野(nagano)県中北東部に位置する中都市)の間に点在する、のどかな温泉地の方面に、小旅行に行って来た時の物です。韓国の方は、この投稿で、日本の、晩秋の、田舎の風景も、楽しんで頂けたらと思います。
3日目(以下、この日と書きます)は、別荘から、松本(matsumoto)(長野(nagano)県中部に位置する中都市)と上田(ueda)(長野(nagano)県中北東部に位置する中都市)の間に点在する、のどかな温泉地の方面(松本(matsumoto)と上田(ueda)の間には、鹿教湯(kakeyu)温泉、田沢(tazawa)温泉、霊泉寺(reisenji)温泉等の、規模は、小さいですが、質の良い温泉が湧く、温泉保養地が点在しています)に、足を延ばして、鹿教湯(kakeyu)温泉の温泉旅館に、一泊してから、東京の我が家に帰って来ました(別荘に滞在する際、時々、気分転換に、別荘の有る長野(nagano)県や隣接する山梨(yamanashi)県の、旅館やリゾート(resort)ホテル、ペンション等に一泊程度宿泊しています)。
この日は、まず、鹿教湯(kakeyu)温泉に向かい、鹿教湯(kakeyu)温泉の蕎麦食堂で、昼食を取ってから、鹿教湯(kakeyu)温泉周辺をdriveし、鹿教湯(kakeyu)温泉に戻って来て、鹿教湯(kakeyu)温泉の温泉旅館に宿泊しました。
以下、晩秋の日本の田舎風景前編からの続き。。。
写真以下88枚。鹿教湯(kakeyu)温泉。鹿教湯(kakeyu)温泉は、松本(matsumoto)(長野(nagano)県中部に位置する中都市)と上田(ueda)(長野(nagano)県中北東部に位置する中都市)の間にある(松本(matsumoto)と上田(ueda)、両方の近郊に位置する温泉地と言った感じです)、歴史の古い(少なくとも、9世紀頃からの歴史がある様ですが、温泉保養地として栄える様になったのは、17世紀頃から)、温泉保養地です。鹿教湯(kakeyu)温泉は、松本(matsumoto)と上田(ueda)の間にある温泉保養地の中では、規模が大きいです。鹿教湯(kakeyu)温泉は、前は、よく訪れて、宿泊していましたが、今は、ちょっと飽きてしまって、それ程ではないです。
鹿教湯(kakeyu)温泉は、湯治(温泉による、病気の治療)・保養等で、訪れる、地元(松本(matsumoto)・上田(ueda))の人々も多い様です。
写真以下4枚。鹿教湯(kakeyu)温泉の蕎麦食堂の一つで食べた、この日の昼食。ちなみに、蕎麦は、長野(nagano)県で、昔から、よく食べられている、長野(nagano)県の名物料理の一つで、長野(nagano)県には、蕎麦食堂が、たくさんあります。この蕎麦食堂は、値段が安く、地元の人々の利用も、とても多い蕎麦食堂です。この蕎麦食堂は、鹿教湯(kakeyu)温泉で、お気に入りの蕎麦食堂なのですが、少し、久しぶりに利用したら、味が、落ちた様な気がしました(残念。。。)。
写真以下4枚。この蕎麦食堂で食べた、この日の昼食。
写真以下3枚。私が食べた、天麩羅蕎麦。
彼女が食べた、掻き揚げ(kakiage)天麩羅蕎麦。掻き揚げ(kakiage)は、天麩羅の一つで、魚介類(seafood)や野菜等を、何種類か組み合わせ、衣とともに揚げた天麩羅です(説明は、wikiを参考にしました)。
鹿教湯(kakeyu)温泉の蕎麦食堂で、昼食を取ってから、鹿教湯(kakeyu)温泉周辺をdriveし(前回の投稿、参照)、鹿教湯(kakeyu)温泉に戻って来て、鹿教湯(kakeyu)温泉の温泉旅館に宿泊しました。
写真以下3枚は、おまけで、鹿教湯(kakeyu)温泉にある、お気に入りの、温泉旅館、つるや(tsuruya)旅館。400年以上の歴史を有する温泉旅館です。料理は、今一つですが、温泉(源泉、かけ流し)は、とても良いです。
写真以下2枚は、高速道路(motorway)のS.A./P.A.(rest area)に置いて有る、無料の情報誌(ちょっと古いですが、2010年10月号)の記事より。。。(写真は、前に、kjでアップ(upload)した写真の再利用)。
鹿教湯(kakeyu)温泉のパンフレット(leaflet)より。。。
つるや(tsuruya)旅館は、お気に入りの温泉旅館ですが、ちょっと飽きてきているので、この時は、鹿教湯(kakeyu)温泉では、別の温泉旅館に宿泊しました。
写真以下46枚。この時、鹿教湯(kakeyu)温泉で宿泊した温泉旅館。つるや(tsuruya)旅館の近くにある温泉旅館です。創業は、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)。つるや(tsuruya)旅館よりも、宿泊費が、安い旅館で、庶民的な温泉旅館です。この旅館は、初めて宿泊しました。
写真以下2枚。この温泉旅館の、ロビー(lobby)にて。。。鹿教湯(kakeyu)温泉は、鹿に姿を変えた文殊菩薩が、信仰心の厚い猟師に温泉の場所を教えたと言う、温泉発見の伝説が伝わっています。以下が、温泉発見の伝説の内容。。。昔、地元の猟師が、一匹の鹿を、仕留め損ない、山深くまで追いかけて行った所、傷を負った鹿を見つけました。そこで、鹿に向かって、矢を向けると、鹿は、逃げて行ってしまいました。不思議に思って、鹿がいた場所に行って見ると、そこには、温泉が湧いていました。猟師は、この温泉が、鹿の傷に効いたのだと思っていると、急に、文殊菩薩が現れ、「あなたは、日頃、信仰が深いので、この霊泉(神聖な温泉)を、広く、世の人々に知らせる為に、鹿に化けて、あなたを、ここに連れて来た」と告げました。


旅館に到着して、すぐに、ロビー(lobby)で出された、サービス(無料)のケーキ(cake)。一人一皿ずつ。アップルパイ(apple pie)だったかな。。。ちなみに、長野(nagano)県は、林檎の、主要な産地となっています。
写真以下2枚。この時、私達が、この旅館で宿泊した部屋。この旅館で、標準的な部屋に、宿泊しました。

部屋の風呂(部屋の、トイレ(toilet)の部屋は、別にあります)。部屋の風呂の、湯は、源泉かけ流しの温泉となっています(とにかく、この温泉旅館は、蛇口(faucet)から出る、お湯は、全て、源泉かけ流しの温泉となっている様です)。
写真以下2枚。この温泉旅館の廊下。


この旅館の、共同温泉風呂は、男女別の共同風呂となっています。共同温泉風呂は、室内温泉風呂のみの共同温泉風呂、温泉露天(野外)風呂のみの共同温泉風呂、室内温泉風呂と温泉露天(野外)風呂が両方ある共同温泉風呂と、全部で、3つの共同温泉風呂があります。どの共同温泉風呂が、男用の共同風呂、女用の共同風呂と、固定的に決まっている訳ではなく、時間により、男用共同風呂と、女用共同風呂が、入れ替わります。また、この旅館は、貸切り温泉風呂が、一つあります。この旅館の温泉風呂の湯は、全て、源泉かけ流しで、また、温泉の湯は、飲む事が出来ます(飲むと、慢性胃腸炎(胃の病気)や便秘、関節炎に効果があるそうです)。この旅館の温泉、良かったです(温泉に入って、ゆっくりするには、良い温泉旅館だと思いました)。温泉風呂の、総合的な魅力に関しては、つるや(tsuruya)旅館(鹿教湯(kakeyu)温泉で、お気に入りの温泉旅館)に劣りますが、この旅館の温泉は、絶対的には、十分魅力的でした。
写真以下5枚。この温泉旅館の共同温泉風呂の一つ。温泉露天(野外)風呂のみの共同温泉風呂。

風呂に行く道。
風呂は、昼間だと、こんな感じです。部屋に置いてあるガイド(旅館案内)より。。。この写真で見えるよりも、実際は、もっと大きです(この写真は、実際よりも、小さく見える)。
写真以下2枚。夜の、赤っぽい、怪しい色のw、照明は、垢抜けない気がしました。この様な、赤っぽい照明は、洗練された様に見える様に使うのは、非常に難しいと思うので、安易に使わない方が、良いと思いますw 少なくとも、ここでは、この照明は、場違いの様な気がしました。
風呂に入って見た景色。
写真以下9枚。この旅館で食べた、この日の夕食等。
この夕食時に、私が飲んだ飲み物の一つ。真澄(masumi)(1662年創業の、長野(nagano)県の日本酒の会社。正式名称は、宮坂(miyasaka)醸造だが、真澄(masumi)のbrand名で、知られる)の日本酒。真澄(masumi)は、長野(nagano)県の、日本酒の中では、比較的、名が知られている銘柄(brand)だと思います。
写真以下8枚。この旅館で食べた、この日の夕食。全て、一人一皿ずつ(写真は、一人分)。この旅館の食事は、まあ、チープな(安い)、庶民的な温泉旅館の、典型的な食事と言った感じでした。ちなみに、つるや(tsuruya)旅館も、食事は、大した事ありません。
写真左端は、蕎麦です。蕎麦は、長野(nagano)県で、昔から、よく食べられている、長野(nagano)県の名物料理の一つです。
写真以下2枚。茶碗蒸し。
猪(wild boar)肉の鍋物。
天麩羅。
煮物。
写真左側、茸、ご飯(rice)と、お吸い物。記憶が曖昧ですが、茸、ご飯(rice)は、確か、おひつ(ご飯(rice)を入れる入れ物)に、たくさん入れられて来たと思います。
デザート(dessert)。胡麻プリン(pudding)だったかな。。。
写真以下4枚。この温泉旅館の、貸し切り風呂。貸し切り風呂は、共同風呂では無く、夫婦やcouple、家族だけで入れる風呂で、通常は、小規模で(普通の家の家庭用風呂よりかは、大きいが、裕福な家の家庭用風呂位?)、入る時は、内側から鍵をかけたり、入浴中の表示を出したりして、他の人が、入って来ないようにします(鍵が、かかっていたり、入浴中の表示が、出ていると、利用中だと判断して、他の人が、入って来ない)。
この温泉旅館の、温泉の湯は、飲む事が出来ます。
写真以下7枚。この温泉旅館の共同温泉風呂の一つ。室内温泉風呂と温泉露天(野外)風呂が両方ある共同温泉風呂。
この温泉旅館の、温泉の湯は、飲む事が出来ます。
写真以下4枚。温泉露天(野外)風呂。

写真以下2枚。温泉露天(野外)風呂に、入って見た景色。
この温泉旅館の共同温泉風呂の一つ。室内温泉風呂のみの共同温泉風呂。部屋に置いてあるガイド(旅館案内)より。。。この写真で見えるよりも、実際は、もっと大きです(この写真は、実際よりも、小さく見える)。
写真以下3枚。この温泉旅館で食べた、翌日(4日目。以下、この日と書きます)の朝食。全て、一人一皿ずつ(写真は、一人分)。これに、ご飯(rice)が付きます。
写真左上の紙袋に入っているのは、ちりめん山椒(山椒の実と、ちりめんじゃこ(小魚)を炊き合わせたもの。説明は、wikiから借りて来ました)です。
写真以下9枚。この温泉旅館の共同温泉風呂の一つで、室内温泉風呂と温泉露天(野外)風呂が両方ある共同温泉風呂にて。。。
写真以下2枚。温泉露天(野外)風呂。

写真以下4枚。温泉露天(野外)風呂に入って見た景色。
写真以下3枚。室内温泉風呂にて。。。湯量豊富な源泉かけ流しです。石に付着しているのは、温泉の成分。。。
写真以下34枚。古くから、鹿教湯(kakeyu)温泉の信仰の中心となっている、鹿教湯(kakeyu)温泉の文殊堂(下の補足説明参照)、及び、その周辺を散歩。
鹿教湯(kakeyu)温泉の文殊堂:行基(gyoki)(下の補足説明参照)の弟子、園行(engyo)が、創立したと伝えられている。鹿教湯(kakeyu)温泉の文殊堂には、行基(gyoki)が彫った、文殊菩薩の像が安置されています。行基(gyoki)が、聖武(shomu)天皇の命令により、長野(nagano)県を訪れた際に、この地を霊地(神聖な土地)と感じ取りました。行基(gyoki)は、奈良(nara)に戻った後、自ら彫った文殊菩薩を、弟子の園行(engyo)に託し、この地に安置させました。園行(engyo)が、文殊菩薩の像を、この地に安置した時(鹿教湯(kakeyu)温泉の文殊堂が、創建された時)、既に、この地には、温泉が湧いていたと言います。この文殊菩薩(鹿教湯(kakeyu)温泉の文殊堂に安置されている、文殊菩薩の像の、モデル(model)となった文殊菩薩)が、鹿に姿を変え、信仰心の厚い、地元の猟師に温泉の場所を教えたと言われています。
行基(gyoki):668年生まれ、749年に亡くなる。日本の有名な仏教の僧。百済系日本人(百済からの渡来人の子孫)。以下、行基(gyoki)に関する説明は、wikiを参考にしました。民衆や豪族層など問わず、広く仏教の教えを説き、人々より篤く尊敬された。また、寺院を多く建立しただけでなく、溜池、堀、橋等のインフラ整備、困窮者のための福祉施設の設立等、数々の社会事業を各地で成し遂げたものの、朝廷(中央政府)からは、民衆を煽動する人物であると疑われ、度々、弾圧された。しかしながら、民衆の圧倒的な支持を得て、その力を結集して逆境を跳ね返した。また、行基(gyoki)の活動により、国土開発や、社会事業が進展した事や、行基(gyoki)の活動が、政府が恐れていた「反政府」的な意図を有したものではない事が解った事等から、朝廷(中央政府)は、弾圧を緩め、逆に、行基(gyoki)の技術力や、民衆(農民)動員の力量を利用する様になった。その後、聖武(shomu)天皇(日本の、第45代の天皇)に、奈良(nara)(当時の、日本の首都)の、東大(todai)寺(8世紀前半創建の仏教の寺)の、大仏(daibutsu。752年完成)建立の、実質上の責任者に任命され(この功績により、行基(gyoki)は、東大(todai)寺の「四聖」の一人に数えられている)、745年に、朝廷(中央政府)により、大僧正(daisoujyo。日本の、仏教の僧侶の、最高位の位)の位が与えられた。これにより、行基(gyoki)は、日本で、最初の、大僧正(daisoujyo)の位を得た僧侶となった。











写真以下5枚。鹿教湯(kakeyu)温泉の文殊堂の建物。現在の、鹿教湯(kakeyu)温泉の文殊堂の建物は、1709年に建てられた物です。
写真以下6枚。帰りに、松本(matsumoto)(長野(nagano)県中部に位置する中都市。長野(nagano)に次いで、長野(nagano)県、第2の人口を有する都市)の近郊から眺めた、標高3,000級の山々。
東京への帰りに、中央高速道路(motorway)の、初狩(hatsukari)PA(rest area)(山梨(yamanashi)県の、東京圏に近い場所にある)で、食べた、この日の昼食。高速道路(motorway)のSA・PA(rest area)での食事は、写真を省略してしまう事が多いのですが、この時は、気が向いたので。。。写真左上は、私が食べた、ラーメン。写真右上は、彼女が食べた、舞茸(茸)の天麩羅うどん。写真下は、彼女がたべた、野沢菜(nozawana)、お握り(onigiri・rice ball)。ちなみに、初狩(hatsukari)PA(rest area)の、うどんは、高速道路(motorway)のSA・PA(rest area)の、うどんとしては、美味しいです。
食後に、初狩(hatsukari)PA(rest area)の売店で買った、サーターアンダギー(sata andagi)を、一人一個ずつ食べました。サーターアンダギー(sata andagi)は、沖縄(okinawa)県(日本の最南端に位置する県)発祥の、大衆的な、お菓子の一つで、揚げ菓子です(ドーナツ(doughnut)の様な物)。
おまけ。別に、この時、買って来た物ではありませんが、秋の果物、柿。柿は、好きな果物の一つです。
晩秋の日本の田舎風景、終わり。。。