写真以下23枚。先週の月曜日(以下、この日と書きます)についてです。先週の月曜日は、個人的に休みで、大学時代からの親しい(とは言っても、現在は、あまり頻繁には会っていない)友人(男)と、休みが合ったので(まあ、休みが合ったと言うか、私が、友人の休みに合わせて、休みを取ったのですが。。。)、その友人と二人で、桜を見る等しながら、だらだらと酒を飲みながら休日を過ごしました。まあ、この日は、桜よりも酒と言う感じだったのですがw
桜の花は、おそらく日本人に最も親しまれている花で有り、菊(皇室(天皇家)の紋章(coat of arms)となっている花)と供に、日本の実質的な国家となっている花です。春には、日本各地で、所々に、多くの桜の花が咲きます。もっとも、日本は、国土が、南北に細長く伸びた国で有る為、桜の花の見頃の時期は、日本の各地域で異なります。
この日は、朝寝坊をし、遅い朝食兼昼食を食べてから我が家を出ました。ちなみに、この日は、天気が悪かったです。
写真以下12枚。この日は、まず、通勤電車・地下鉄(韓国式に言えば地下鉄)の中目黒(nakameguro)駅で待ち合わせて、雨の中、桜を見ながら&お酒(アルコール(alcoholic)飲料)を飲みながら、目黒(meguro)川を散歩しました。目黒(meguro)川は、東京都心部の南西部から南部を流れて、東京湾へ至る、全長8km程の、幅の細い川です。目黒(meguro)川の約半分、東京都心部の南西部(ほぼ、目黒(meguro)区(東京中心部(東京23区)の南西部に位置する区)の北東部)を流れる、約4km部分の川沿いが、桜並木(桜の木の並木)となっており、目黒(meguro)川は、東京都心部の桜の花の名所の一つとなっています。この日は、天気が悪かったですが(今年は、東京は、桜の花の見頃時期は、天気が悪い日が、多かった印象)、桜の花は、調度見頃でした。
まず、中目黒(nakameguro)駅の近くのマートに行って、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)を買い、それを飲みながら、目黒(meguro)川を散歩しました。私は、まず、マートで、ビールを2本買って飲んだのですが、これは、その内の一つで、RODENBACHと言うベルギー(Belgium)のビールです。
写真以下2枚。最初にマートで買ったビールを、飲んでしまったので、コンビニで、追加でビールを買って、飲みながら、さらに、目黒(meguro)川沿いを、桜を見ながら&話ながら、散歩しました。私は、Kirinビール(日本の大手(大規模)ビール会社の一つ。その起源は、1869年に遡る)の、「Lager beer」(Kirinビールの主力商品の一つで、日本で、多く売れているビールの一つ。1888年から現在まで、125年間も、販売され続けているビール。ラベル(label)のデザイン(design)は、1889年から、あまり変わっていない)の、桜パッケージ(包装)の、缶ビールを、一缶、追加で買って飲みました。学生の頃だったら、この状況ならば、マートで、缶ビールを、纏め買いして飲みながら歩いていたかもしれませんが、私も、友人も、もう年なので、まず、この日の手始めは、大人しく、チマチマと買って、飲み歩きましたw
写真以下5枚は、おまけで、前に、kjでアップ(upload)した、桜の花の時期の目黒(meguro)川の写真。これは、彼女と桜の花の時期の目黒(meguro)川を散歩した時に撮影した物です。天気が良い日の、桜の花の時期の目黒(meguro)川は、こんな感じですよと、アップ(upload)しようと思ったのですが、(よく憶えていませんが)、この写真を撮った日も、(雨は降っていなかったが)雲が多くて、天気は、あまり良くなった様ですね。

これは、桜の花の時期の出店(道端に臨時に出る店)で売られている、スパークリングワイン(sparkling wine)。
写真以下3枚。目黒(meguro)川を散歩しながら、このまま、雨が止まなければ、目黒(meguro)川沿いのカフェ(cafe)か、居酒屋にでも入り、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)を飲もうと思っていたのですが、雨が止んだので、再び、中目黒(nakameguro)駅の近くのマートに行って、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)と、おつまみを買った後、通勤電車・地下鉄(韓国式に言えば地下鉄)で、代々木(yoyogi)公園へ移動し、代々木(yoyogi)公園で、(おつまみを食べながら)、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)を飲みました(かなり、たくさん飲みました)。ちなみに、敷物は、我が家から持って来ていました。
中目黒(nakameguro)駅から、代々木(yoyogi)公園(明治神宮前(meijijingunmae)駅利用)までは、通勤電車・地下鉄(韓国式に言えば地下鉄)で、乗り換えなしの一本で、5分強から10分弱程です。代々木(yoyogi)公園は、東京都心部の西部に位置する渋谷(shibuya)区の中央部にある公園で、東京中心部(東京23区)に有る公園の中では、最大級の物の内の一つで、とても広い公園です。原宿(harajyuku)(東京の主要な繁華街の一つであると共に、若者文化の発信地の一つ)に隣接している事等から、若者に人気が高い公園となっています。ちなみに、我が家から、代々木(yoyogi)公園は、近いと言えば、近いと言え、我が家から、代々木(yoyogi)公園までは、歩いて20分位です(まあ、この日は、友人を、我が家には、招待せずw、代々木(yoyogi)公園で、(お酒(アルコール(alcoholic)飲料)を)飲んだ後、新宿に移動して、(お酒(アルコール(alcoholic)飲料)を)飲んだのですが。。。w)。
写真以下3枚。代々木(yoyogi)公園で、(雨が降ったり止んだりの)この日の天気の中でも、花見(hanami。野外で、桜の花を見ながら、酒を飲んだり、食事をしたりする事。花見(hanami)は、伝統的に、桜の花の時期の日本人の娯楽となっています)を楽しむ人々の風景例。日本では、桜の時期には、多くの人々が、花見(hanami)を楽しみます。
写真右下は、花見(hanami)をする人々の為に、臨時に設けられた、ごみ箱。
写真中央は、花見(hanami)をする人々の為に、臨時に設けられた、ごみ箱。
私達が、代々木(yoyogi)公園にいる間は、結構、長い時間、雨が降らなかったのですが、代々木(yoyogi)公園で、桜の花を見ながら(まあ、この日は、桜よりも、酒と言った感じだったのですがw 新宿でも、たくさん飲んだのですが、前述の通り、この日は、代々木(yoyogi)公園では、かなり、たくさん飲みました)、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)を飲んでいる(花見(hanami)と言わないのは、友人(男)と、二人だった為、花見(hanami)と呼びたくない為w)、途中に、小雨が降って来た為、新宿(東京最大級の繁華街の一つ。東京都心部の西部に位置する)に移動して、居酒屋で飲みました。代々木(yoyogi)公園(原宿(harajyuku)駅利用)から、新宿までは、通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)で、乗り換え無しの1本で、5分弱程です。
写真以下3枚。新宿に着いて、まず、新宿の、思い出横丁(思い出yokocho)にある、鳥園(torien)と言う、居酒屋で、おつまみを食べながら、(お酒(アルコール(alcoholic)飲料)を)飲みました。思い出横丁(思い出yokocho)は、南北80mから100m位、東西30mから50m位の地区に、多くの、超(非常に)庶民的な居酒屋・食堂等の飲食店(主に、居酒屋若しくは居酒屋的な店)を中心にした店舗が、ひしめいている(密集している)、在来市場的な雰囲気を持つ地区です。思い出横丁(思い出yokocho)は、第二次世界大戦直後の混乱期の闇市(何らかの物価を統制する体制下で、物資が不足している状況において、違法取引の品物を売る店が集まっている場所)に起源を持つ地区で、しょんべん横丁(小便yokocho)とも呼ばれています(私は、以前は、むしろ、しょんべん横丁(小便yokocho)と言う呼び名に、馴染みがありました))。思い出横丁(思い出yokocho)は、第二次世界大戦直後の混乱期から1950年代初め頃(第二次世界大戦直後の混乱は、一段落したけど、まだ、経済復興が始まって間もなくで、第二次世界大戦直後の荒廃と貧しさの名残が、まだ、色濃く、まだまだ貧しかった時代)の、日本の、労働者向けの、怪しい、歓楽街・繁華街の雰囲気を、よく残す地区となっています。
鳥園(torien)は、思い出横丁(思い出yokocho)で、約60年営業を続けている、焼き鳥(鶏肉串)を中心としたメニュー(menu)(焼き鳥(鶏肉串)を中心としたと言っても、非常に多くの種類の、おつまみを置いています)の、とても庶民的な居酒屋です。私は、大学生の頃、鳥園(torien)は、友達達と、よく利用していました。鳥園(torien)は、大学の友達同士の間では、チープだが(とても安いが)、質の悪い、居酒屋・焼き鳥(鶏肉串)屋と言うイメージがあり(まあ、質が悪いと思い込んでいただけなのかもしれません)、鳥園(torien)で飲むと悪酔いすると言うイメージがありました(悪酔いと言うか、ただ単に、たくさん飲み過ぎていただけかもしれませんw)。鳥園(torien)で飲むと、悪酔いをすると言うイメージから、若しくは、鳥園(torien)のビールは、冗談で、本物のビールではなく、アルコール(alcohol)の変わりに、トルエン(toluene)が入っているかもしれないと言う事から(文系の学生同士の、愚かな発言なので、理系の人が聞いたら、何を、訳の解らない事を言っているのかと思うと思いますがw)、友達同士では、鳥園(torien)の事を、トルエン(toluene)と呼んだりもしていましたw。そんな鳥園(torien)も、今は、質が上がり?、普通の、とても庶民的な居酒屋と言った印象になっています。
この時、私が、鳥園(torien)で飲んだ、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)の一つ。ホッピー(hoppy)&焼酎。ホッピー(hoppy)(写真左側)は、ビールに味の似た飲み物で、ホッピー(hoppy)自体には、アルコール(alcohol)は、入っていないので、通常は、焼酎を、ホッピー(hoppy)で割って飲みます(写真右側のジョッキ(beer mug)に入っているのが、焼酎)。どれ位の比率で、焼酎をホッピー(hoppy)で割るのかは、個人の好みによりますが、ホッピー(hoppy)で、焼酎を5倍位に薄めると、だいたい、味も、アルコール(alcohol)度数も、ビールに近い、アルコール(alcohol)飲料となります(もっとも、ビールよりも、苦味が少なく、さっぱりとした味わいです)。鳥園(torien)は、ホッピー(hoppy)用の焼酎が、通常の居酒屋よりも、多目に注がれて来ます。写真右側の、ホッピー(hoppy)用の焼酎は、(写真左側の、ホッピー(hoppy)の減り具合を見ても分かると思いますが)ホッピー(hoppy)を、ほんの少しだけ、注いで、撮影した物ですが、焼酎が、多目なのが分かると思います。この後、このホッピー(hoppy)用の焼酎は、もう少し、ホッピー(hoppy)を注ぎ足して飲んだのですが、この割具合だったら、我ながら、焼酎を、そのまま、ストレート(straight)か、ロック(on the rocks)で飲めよと言った感じですw(まあ、この時は、焼酎を、かなり濃く、ホッピー(hoppy)を焼酎で割ると言った感じで、飲みたい気分だったのでw)。ホッピー(hoppy)用の焼酎は、(何杯か忘れましたが)、当然、お代わりして、ホッピー(hoppy)を飲みました。
ホッピー(hoppy)は、第2次世界大戦後間も無く、日本が貧しかった時期(1940年代後半)に販売が開始され、当時、庶民にとっては、ビールが高級品で有った事から、焼酎を、ホッピー(hoppy)で割った飲み物は、ビールの代用品として、爆発的な人気を得ました。1950年代以降、急速な経済成長&経済復興と供に、ビールは、庶民にとっても、高級品で無くなって行きましたが、現在においても、東京の東京の下町(旧市街)的な繁華街では、多くの、庶民的な居酒屋や、庶民的な飲食店の、飲み物のメニュー(menu)に、ホッピー(hoppy)が載っており、根強い支持者達により、好んで飲まれています(現在は、飲食店での、ホッピー(hoppy)(焼酎のホッピー(hoppy)割り)と、ビールの値段は、余り違いません。これは、ホッピー(hoppy)(焼酎のホッピー(hoppy)割り)の、日本の平均所得に比べた値段が上がった訳ではなく、逆に、第二次世界大戦後の経済成長により、日本の平均所得に比べたビールの値段が下がり、日本において、ビールが、従来の焼酎並の、大衆酒となった為です)。また、日本が貧しかった時期は、焼酎のホッピー(hoppy)割りは、ビールの代用品と言うイメージが、強かったが、焼酎のホッピー(hoppy)割りは、(ビールには含まれている)健康に悪いプリン体が含まれていない、割り具合によって、好きなアルコール(alcohol)度数に調節して飲める等、ビールとは違った良さが有り、近年、こうした、ホッピー(hoppy)ならでは特徴が注目され、ホッピー(hoppy)は、再び存在感を増しつつあります。
写真以下2枚。この時、私達が、鳥園(torien)で食べた、おつまみの、極一部。色々と、たくさん、おつまみを食べた内の、極一部です(友人の前で、食べ物の写真を撮るのは、気恥ずかしいので、ほんの少しだけ、撮影しました)。
鯨の刺身。
焼き鳥(鶏肉串)の、盛り合わせ。
鳥園(torien)を出た時点で、私も友人も、かなり、酔っ払っていた(酒に酔っていた)のですが、鳥園(torien)を出た後、新宿で、個人的に、お気に入りの店の一つ(ちなみに、その店は、思い出横丁(思い出yokocho)にある店ではありません)に移動し、軽い、おつまみと共に、さらに少し、飲んでから、我が家に帰りました(その店では、私は、ウイスキー(whisky.)を、ロック(on the rocks)で、何杯か飲みました)。2軒目の店を出た時は、非常に、酔っ払っていて(酒に酔っていて)、珍しく、千鳥足になる程だったのですが(私は、酒に、かなり酔っ払っても(酔っても)、性格が、大きく変わることも、ありませんし(ちょっと陽気になる位w)、足が、ふらつく事も、あまりありません)、頑張ってw、節約して、タクシー(taxi)ではなく、通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)で、新宿から、我が家に帰りました(新宿から、我が家の最寄りの通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)駅までは、電車(韓国式に言えば地下鉄)で、5分程で、新宿から、我が家までは、タクシー(taxi)でも、あまり金がかかりませんが、もちろん、電車を利用する方が、タクシー(taxi)を利用するよりも、比べ物にならない位、安いです)。まあ、そうして、チマチマと(細々と)、お金を節約しても、そうして節約した分も、酒(アルコール(alcoholic)飲料)代や食事代(特に、外食費)に、あっと言う間に消えて行ってしまうのですがw
この日は、我が家に帰って来てから、しっかり寝たのですが(夜11時半前には、家に着いた。たくさん飲んだが、そもそも、一軒目(鳥園(torien))で飲み始めたのが、6時半過ぎ位と、早かった)、この翌日は、(仕事であったのにも関わらず)、珍しく、二日酔い気味で(もう、年だなぁ。。。)、午前中は、ちょっと気分が悪かったです(ちょっと、気分が優れませんでした)。友人も、この翌日は、仕事でしたが、おそらく、あの飲み具合だったら、二日酔い気味だったのでは、ないでしょうか。。。
写真以下。この翌日(先週の火曜日。以下、この日と書きます)は、仕事を早目に切り上げて、彼女と夕方5時頃、地下鉄の浅草(asakusa)駅で待ち合わせて、隅田(sumida)川沿いの、桜の花を見ながら、散歩しました。東京都心部の東部(北東部)に位置する、浅草(asakusa)は、現在は、東京の主要な繁華街の一つに過ぎませんが(それでも、東京の下町(旧市街)(東京都心部の東部)の中心的な繁華街となっている)、第二次世界大戦前は、銀座(ginza。東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)と供に、東京の二大繁華街でした(第二次世界大戦前は、銀座(ginza)が、中流層及び上流層の為の中心的繁華街、浅草(asakusa)が、庶民の為の中心的繁華街と言った感じでした。ちなみに、銀座(ginza)は、今でも、東京を代表する繁華街の座を維持しています)。浅草(asakusa)は、第二次世界大戦末期の空襲で、壊滅的な被害を受けました。また、第二次世界大戦後、浅草(asakusa)が、衰退して行く一方で、東京都心部西部(1920年代から1930年代に、本格的な開発が始まった)の、新宿(shinjyuku)や渋谷(shibuya)が、東京の新たな主要繁華街として、成長し、台頭して来ました。これにより、浅草(asakusa)は、東京最大級の繁華街の座は、新宿(shinjyuku)や渋谷(shibuya)等、他の繁華街に譲りました(ちなみに銀座(ginza)は、第二次世界大戦前と後を通じて、現在に至るまで、東京を代表する繁華街で有ると供に、隣りの有楽町(yurakucho)と合わせて(銀座(ginza)・有楽町(yurakucho))、東京最大級の繁華街の座を維持)。それでも、浅草(asakusa)は、今でも、東京の下町(旧市街)(東京都心部の東部)最大級の繁華街であると共に、東京の下町(旧市街)を代表する繁華街となっています。浅草(asakusa)は、昔の東京の雰囲気が、食文化、食堂、工芸品、土産物屋等、文化として、たくさん残っている為に、東京を代表する観光地の一つとして、栄えています。
隅田(sumida)川は、東京中心部(東京23区)の北端において、荒(ara)川と言う川から分岐し、東京中心部(東京23区)の東側を流れながら、東京湾に注ぐ、全長、23.5kmの川です。隅田(sumida)川の、浅草(asakusa)付近の川沿いの、約1kmに渡る桜並木(桜の木の並木)は、東京都心部の桜の花の名所の一つとなっています(この桜並木(桜の木の並木)は、18世紀前半からの歴史を有し(この桜並木(桜の木の並木)の、現在の桜の木は、18世紀から続く物ではありませんが。。。)、古くから(18世紀から)、東京の桜の花の名所の一つとなっています)。
写真右側の、変なデザイン(design)の高層ビルは、アサヒ(asahi)ビール(日本の大手(大規模)ビール会社の一つ。大阪発祥の会社。1889年創業)のビルで、ビールをイメージしたデザイン(design)のビル(おそらく。。。)なのですが、個人的に、このビルのデザイン(design)は、嫌いです。ただ、まあ、浅草(asakusa)に似合わない訳ではないと思います。写真中央の、高い搭は、東京sky tree。写真の下は、桜の木々。景観上、高速道路(motorway)の高架は、邪魔ですw。
写真以下3枚。東京sky tree。東京sky treeは、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)にあるTV電波塔です(展望台を有すると共に、商業施設等を併設し、観光施設の側面も有しています)。去年(2012年)の、2月末に完成し、5月に、全面開業しました。東京tower(高さ約333m。1958年の完成当時は、世界一高い、(観光用の展望台の付いた)塔だった)は、来るべきTVの大衆化時代(日本では、TV放送は、1953年に始まり、当初は、TVは、庶民にとっては、中々手が届かない贅沢品で有ったが、1950年代末には、テレビ(TV)が、庶民の家庭にも普及する様になった)に備えて、東京areaにTV電波を大量に送信する為に建てられたTV電波塔ですが、東京ski treeは、東京towerに代わる、東京areaにTV電波を送信する為の、(東京圏の)主力TV電波塔となる、TV電波塔で、東京tower同様、展望台を有し、観光施設の側面も有しています。東京ski treeは、高さは、634mあり、日本で最も高い、また、世界でも、Burj Khalifa(Burj Dubai)に次いで、二番目に高い建造物であり、世界一高い塔です。浅草(asakusa)は、東京sky treeに近く、今回、東京sky treeと、浅草(asakusa)areaの桜の花の組み合わせの風景の写真を、色々と撮って見ました。ちなみに、個人的に、東京sky treeのデザイン(design)は、少しは、目に馴染んで来ましたが、やはり、依然として嫌いです。現代に建てられる建物のデザイン(design)としては、あまりに保守的で、保守的でも、美しければ良いのですが、美しくもなく、ただ、とても退屈なだけ。。。まあ、何れは、目に馴染んで来て、嫌いなデザイン(design)でなくなるのでしょうか。。。(東京towerも、仮に、建てられた当時、私が、既に生まれていて、且つ、既に、大人であったならば、おそらく、あんな、Eiffel towerの物真似の様なデザイン(design)なんて有り得ないと言って、とても嫌っていたと思いますw)。

この時は、(雨は、降らなかったけど)天気が、良くなかったのですが(まあ、何れにしても、既に、夕方であったのですが)、青空の、良い天気ならば、間近で見る東京sky treeと、桜の花の組み合わせの風景は、とても良いと思います(東京sky treeが、完成してから、桜の花の時期に、浅草(asakusa)areaを訪れたのは、この時が、初めて。。。)。
写真中央の奥に、一部が見えるビルは、松屋(matsuya)デパート、浅草(asakusa)店の建物で、1931年の開店時からの物です。
写真以下2枚。向こうに、橋の上を走る、電車が、見えます。

写真以下2枚。勝 海舟(katsu kaisyu。1823年生まれ。日本人。19世紀後半に活躍した人物ですが、説明は、省略します)の像。


浅草(asakusa)周辺の、隅田(sumida)川沿いに位置する、写真以下16枚の場所は、元々、水戸(mito)徳川(tokugawa)家(江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ばに、現在の茨城(ibaraki)県(東京圏の北東端に位置する県)の中部及び北部を統治していた地方領主の家。非常に有力な地方領主の家であった)の、東京(当時は、江戸(edo)と呼ばれていた)の別荘の一つの敷地の一部(半分弱位かな。。。)であった物で、現在は、小さな公園として整備されています。水戸(mito)徳川(tokugawa)家は、近代日本において、貴族(侯爵)となりました(封建制時代の地方領主達は、近代に入ると、地方領主としての地位を失うと供に、封建制時代の城(castle)等を失ったものの、多くの地方領主達は、貴族階級に組み入れられ、近代社会(19世紀末から第2次世界大戦後、間も無くまで)においても、日本の上流階級としての地位と富は、維持しました)。この、水戸(mito)徳川(tokugawa)家の、東京の別荘の一つ(敷地面積は、約66,000平方m(約2万坪)あった)は、近代に入り、水戸(mito)徳川(tokugawa)家の本邸(メイン(main)の家)となりましたが、関東大震災(1923年に東京areaを襲った巨大地震。東京等が、非常に大きな被害を受けた)及び、それに伴う火災により、壊滅的は被害を受けました。それにより、水戸(mito)徳川(tokugawa)家は、この土地を手放し、その一部(半分弱位かな。。。)が、1931年に公園として整備され、現在に至っています。




東京sky tree。


写真以下3枚。水戸(mito)徳川(tokugawa)家の、東京の別荘の一つであった頃の名残が感じられます。
写真以下11枚。上の、公園(元、水戸(mito)徳川(tokugawa)家の、東京の別荘の一つの敷地の一部を利用した公園)に隣接する、牛嶋(ushijma)神社(shrine)。860年創建の、かなり歴史が古い、神道の、神社(shrine)です。元々、この付近の別の場所にありましたが、関東大震災(1923年に東京areaを襲った巨大地震。東京等が、非常に大きな被害を受けた)で壊滅的な被害を受けた後、1932年に、現在地(元、水戸(mito)徳川(tokugawa)家の、東京の別荘の一つの敷地の一部)に移転して来ました。現在の、この神社(shrine)の建物は、現在地に移転して来た、1932年に建てられた物です。
撫牛(nadeushi。自分の体の悪い部分を撫で、牛の像の同じ部分を撫でると病気が治ると言う風習)の為の、牛の像。牛嶋(ushijma)神社の、現在の、撫牛(nadeushi)の為の牛の像(上の写真)は、1825年頃に奉納されたと言われています(それ以前は、牛嶋(ushijma)神社では、牛型の、自然石を、撫牛(nadeushi)の為に置いていた様です)。

写真以下2枚。散歩途中に、桜の花の時期の出店(道端に、臨時に出る店)で、買って食べた、おやつ。二人で分けて食べました。
味噌おでん(味噌、こんにゃく(konnyaku)、おでん)。
水餃子(dumpling)。
写真以下14枚。夕暮れから夜の、東京sky treeと桜等。東京sky treeは、夜に見る方が、いいかも。。。東京sky treeの、ライトアップ(照明)の色は、桜の花の時期限定の、桜をイメージした色になっています。
写真以下3枚。隅田(sumida)川沿いの桜並木と東京sky tree。



写真以下3枚。隅田(sumida)川沿いの桜並木と東京sky tree。


写真以下。浅草(asakusa)周辺の、隅田(sumida)川沿いで、桜の花を見ながらの散歩を楽しんだ後は、タクシー(taxi)で、両国(ryougoku)・蔵前(kuramae)areaの、ちゃんこ(cyanko)鍋レストランに移動し、夕食を食べてから、帰りました(浅草(asakusa)と両国(ryougoku)・蔵前(kuramae)areaの間は、割と近いので(1km強から2km強位しか離れていないかな。。。)、タクシー(taxi)でも、あまり料金は、かかりません。しかも、この日、夕食を食べた、ちゃんこ(cyanko)鍋レストランは、両国(ryougoku)・蔵前(kuramae)areaの中でも、浅草(asakusa)方面から見て、かなり手前に位置しています)。両国(ryougoku)(東京中心部(東京23区)の東部に位置する)には、両国(ryougoku)国技館(規模の大きな、相撲(sumo)競技場で、東京における、相撲(sumo)興行の中心となっている施設)がある事から、両国(ryougoku)area及び、その周辺は、東京における、相撲(sumo)(下の補足説明参照)の中心地となっており、多くの、相撲(sumo)部屋(プロの相撲(professional sumo)の力士(選手)を養成する機関)や、元、相撲(sumo)力士(選手)等が経営する、ちゃんこ(cyanko)鍋レストランがあります。
相撲(sumo):古代からの歴史を有する、神道に基づく、日本の儀式・格闘競技。ちなみに、現代に繋がる、組織化された、プロの相撲(professional sumo)の歴史は、17世紀まで、遡ります。
写真以下4枚。この日、夕食を食べた、ちゃんこ(cyanko)鍋レストラン。この、ちゃんこ(cyanko)鍋レストランは、この時まで、何度か利用した事がありました(大衆的な、値段のレストランです)。この、ちゃんこ(cyanko)鍋レストランは、1954年に建てられた、相撲(sumo)部屋(下の補足説明参照)の建物を、改装したレストランになっています。
相撲(sumo)部屋:プロの相撲(professional sumo)の力士(選手)を養成する機関。全ての、プロの相撲(professional sumo)の力士(選手)は、何れかの、相撲(sumo)部屋に所属していなければなりません。現在、日本には、44の、相撲(sumo)部屋がある様です。
このレストランの外観。
写真以下3枚。このレストランの内部。
写真以下2枚は、このレストランのパンフレット(leaflet)より。。。
写真以下6枚。このレストランで食べた、この日の夕食。このレストランは、ちゃんこ(cyanko)鍋の他、寿司等、豊富な種類の料理を出します。ちなみに、私は、この日の、午前中までは、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)は、見るのも嫌だと言った感じでしたが(ちなみに、体調自体は、午後には、完全に回復しました)、夕食時には、また、酒(アルコール(alcoholic)飲料)を飲める気分になっていましたw。ただし、さすがに、この日は、酒(アルコール(alcoholic)飲料)は、控え目にし、この夕食時は、私は、飲み物は、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)は、日本酒を少しと、ビールの中瓶1本だけ飲み、家に帰ってからは、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)は、一切飲みませんでした。
突き出し(居酒屋・食堂等で最初に出される、ちょっとした料理)。一人一皿ずつ。
写真以下は、全て、二人で分けて食べました。
刺身盛り合わせ。
写真以下3枚。ちゃんこ(cyanko)鍋。この時は、17種類の具を盛り込んだ、ちゃんこ(cyanko)鍋を食べました。ちゃんこ(cyanko)鍋は、相撲(sumo)部屋が、相撲(sumo)の力士(選手)に提供する、鍋料理で、相撲(sumo)の力士(選手)の食事の中心となる料理です。色々な種類の物があり、また、相撲(sumo)部屋によって、味付け、具材、調理法も、異なる様です。東京における、相撲(sumo)の中心地となっている、両国(ryougoku)area及び、その周辺は、多くの、元、相撲(sumo)力士(選手)等が経営する、ちゃんこ(cyanko)鍋レストランがあります。
これは、ちゃんこ(cyanko)鍋の、追加の具として頼んだ、メカジキの、つみれ(魚団子)と餅。
これは、食べている途中に撮影した物。
鮪(中とろ(中toro))の、寿司。
このレストランで夕食を食べた後は、(ちゃんこ(cyanko)鍋を食べて力が付いたしw)、ちょっと運動がてら、両国(ryougoku)駅まで、歩いて行き(両国(ryougoku)駅は、一応、このレストランの、最寄り駅となっているが、歩くには、ちょっとした距離がある)、両国(ryougoku)駅から、通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)で、我が家に帰りました。