3月の初旬に、近場で、休日を過ごした時の物です。
以下、東京散歩&食べ物2からの続き。。。
写真以下37枚。この翌日(前回の投稿内容の日の翌日。以下、この日と書きます。この日は、個人的に休みでした)は、浅草(asakusa)に、遊びに訪れました。ちなみに、この日、我が家で食べた朝食は、普段、働いている日に食べている朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt))と、同じでした。
東京都心部の東部(北東部)に位置する、浅草(asakusa)は、現在は、東京の主要な繁華街の一つに過ぎませんが(それでも、東京の下町(旧市街)(東京都心部の東部)の中心的な繁華街となっている)、第二次世界大戦前は、銀座(ginza。東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)と共に、東京の二大繁華街でした(第二次世界大戦前は、銀座(ginza)が、中流層及び上流層の為の中心的繁華街、浅草(asakusa)が、庶民の為の中心的繁華街と言った感じでした。ちなみに、銀座(ginza)は、今でも、東京を代表する繁華街の座を維持していると共に、東京を代表する高級繁華街となっています)。浅草(asakusa)は、第二次世界大戦末期の空襲で、壊滅的な被害を受けました。また、第二次世界大戦後、浅草(asakusa)が、衰退して行く一方で、東京都心部の西部(1920年代から1930年代に、本格的な開発が始まった、東京の新市街・新興住宅地)の、新宿(shinjyuku)や渋谷(shibuya)等が、東京の新たな主要な繁華街として、成長し、台頭して来ました。これにより、浅草(asakusa)は、東京最大級の繁華街の座は、新宿(shinjyuku)や渋谷(shibuya)等、他の繁華街に譲りました(ちなみに銀座(ginza)は、第二次世界大戦前と後を通じて、現在に至るまで、東京を代表する繁華街で有ると共に、隣の有楽町(yurakucho)と合わせて(銀座(ginza)・有楽町(yurakucho))、東京最大級の繁華街の座を維持)。
それでも、浅草(asakusa)は、今でも、上野(ueno)と共に、東京の下町(旧市街)(東京都心部の東部)最大級の繁華街であると共に、東京の下町(旧市街)を代表する繁華街となっています。浅草(asakusa)は、東京の庶民的な繁華街の代表的な存在であると共に、昔の東京の、大衆の繁華街の雰囲気が、食文化、食堂、工芸品、土産物店等、文化として、たくさん残っている為に、東京を代表する観光地の一つとして、栄えています。浅草(asakusa)には、歴史が古い、食堂・レストラン・店舗等が、多くあります。
写真以下8枚。浅草(asakusa)areaの、風景例。
写真正面の、高層ビルは、アサヒ(asahi)ビール(日本の大規模ビール会社の一つ(日本の四大ビール会社の一つ)。1889年創業)の本社ビル(1989年完成。高さ約95m)です。設計・デザイン(design)は、Philippe Starck(1949年生まれ。フランスの、世界的に有名な、デザイナー(designer)。建築の分野でも活躍)等が手掛けました。ビルのデザイン(design)は、グラス(glass)に入ったビール(おそらく、生ビール)をイメージした物です(日本語が分かる人しか分からない、下手な、駄洒落(pun)ですが、高層ビルではなく、高層ビールと言った感じですw)。高層ビルの右下の、金色の雲にも、汚物の様にも見える物は、グラス(glass)から溢れ出た、ビールの泡でも表現しているのでしょうか。。。何とも、理解し難いです。私は、前は、この、醜悪で、おぞましいデザイン(design)の、アサヒ(asahi)ビールの本社ビル(のデザイン(design))は、大嫌いでしたが(アサヒ(asahi)ビールは、何で、この様なデザイン(design)案を、採用(承認)したのか、不思議です(私には、理解が出来ません))、今は、まあ、色々な物があって、楽しい、浅草(asakusa)areaにおいては(浅草(asakusa)areaは、雑然とした所が、大きな魅力となっています)、悪くはないのではないかと思うようになりました(このビルが、私の街にあったら、嫌だけど。。。w)。
写真以下3枚。浅草(sensou)寺の、雷門(kaminari)門(浅草(sensou)寺と、雷門(kaminari)門については、後で、説明します)の向かいにある、台東(taito)区(東京中心部(東京23区)を構成する、23の区の内の一つ。浅草(asakusa)が位置している)が運営する、割と最近(2012年に)、完成した、新しい、観光案内所の建物(8階建て。高さ、約40m)。設計は、隈 研吾(kuma kengo)(1954年生まれ。日本の、世界的に有名な建築家)が、手掛けました。周囲の景色と調和しながらも、個性がある建物、また、奇抜な(風変わりな)なデザイン(design)の建物でないのにも関わらず(厳密に見れば、奇抜な(風変わりな)なデザイン(design)の建物であるが、建築家の技量により、奇抜な(風変わりな)なデザイン(design)の建物に見せない)、個性的な建物で、優れた建築であると思います(現代において建てられる建物の、理想的なデザイン(design)の形の一つであると思います)。
写真以下4枚。この、観光案内所の、最上階の、屋外展望台から見た景色。この日は、残念ながら、天気が悪く、寒い日でした。
写真手前(写真左下)の門。浅草(sensou)寺の雷門(kaminari)門(浅草(sensou)寺の表玄関となる門)。浅草(sensou)寺は、浅草(asakusa)にある、仏教の寺で、仲見世(nakamise)通りと共に、浅草(asakusa)の観光の中心となっています。浅草(sensou)寺の雷門(kaminari)門(浅草(sensou)寺の表玄関となる門。写真手前(写真左下))から、浅草(sensou)寺の、主要な建物群(写真奥)へと延びる、賑やかな通り(写真中央部)は、仲見世(nakamise)通りです。仲見世(nakamise)通りは、雷門(kaminari)門から、浅草(sensou)寺の本堂(mainの建物)へと続く、参道(お参りする道)であり、歩行者専用の、買い物通り(商店街)となっています。仲見世(nakamise)通りは、伝統工芸品、伝統的な、お菓子、東京及び日本の、お土産品、チープで風変わりな品物を売る店等が建ち並び、常時、多くの人々で、賑わっています。写真の奥(写真の上部)、左側の、浅草(sensou)寺の五重塔の、さらに左には、浅草(asakusa)花やしき(hana yashiki)の、遊具(乗り物の建物)の一つが見えます。浅草(asakusa)花やしき(hana yashiki)は、浅草(asakusa)にある、1853年に開業した遊園地で(一昨年で、開業160周年でした)、近代式の遊園地としては、日本で、最も長い歴史を持つ遊園地です(遊園地の施設・乗り物・アトラクション(attraction)等に関しては、時代に合せて、建替え、改装等を行っており、浅草(asakusa)花やしき(hana yashiki)の、現在、稼動中の、最も古い、乗り物・アトラクション(attraction)は、1949年に開業した物です)。
写真以下3枚。写真中央に見える、高いtowerは、東京sky tree。東京sky treeは、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)の、浅草(asakusa)areaに近い場所にあるTV電波塔です。東京ski tree(2012年完成)は、東京tower(下の補足説明参照)に代わり、東京areaにTV電波を送信する為の、(東京圏の)主力TV電波塔となった、TV電波塔で、東京tower同様、展望台を有し、観光施設の側面も有しています。高さは、634mあり、日本で最も高い、また、世界でも、Burj Khalifaに次いで、二番目に高い建造物であり、世界一高い塔です。ちなみに、東京ski treeの、デザイン(design)は、現在において建てられる建築のデザイン(design)としては、あまりに保守的で(古臭く)、平凡で、嫌いです。写真右下に見えるのは、アサヒ(asahi)ビールの本社ビル。
東京tower:来るべきTVの大衆化時代(日本では、TV放送は、1953年に始まり、当初は、TVは、庶民にとっては、中々、手が届かない贅沢品で有ったが、1950年代末には、テレビ(TV)が、庶民の家庭にも普及する様になった)に備えて、東京areaにTV電波を大量に送信する為に建てられたTV電波塔。東京都心部でも、中心的な地域に位置する。高さは約333mで、1958年に完成した当時は、パリのEiffel tower(約324m)を抜かし、世界一高い、(観光用の展望台の付いた)塔でした。
写真下側の川を走っている船は、松本 零士(matsumoto reiji)(下の補足説明参照)がデザイン(design)した、東京の、水上バスです(海にも出ます)。浅草(asakusa)と、お台場(odaiba)(東京中心部の海沿いに有る、1980年代から開発が始まった(本格的な、開発は、1990年代に入ってから。特に、ほぼ現在の形に整ったのは、1990年代半ばの事)、東京中心部の海沿いに有る、規模の大きな、住宅・商業・ビジネス(business)の複合地区。東京で、最も、未来的な景観を有する地域の一つ)等を、結んでいます。2004年から運行されています。乗った事がありますが、デザイン(design)の構造上、波には弱いと言う印象です。
松本 零士(matsumoto reiji):1938年生まれ。日本の、有名な漫画家。代表作は、「銀河鉄道999(Galaxy Express 999)」(1977年(漫画)。1978年から1981年にかけて、TVアニメシリーズ(TV anime series)として放映)、「宇宙戦艦ヤマト(Space Battleship Yamato・Star Blazers)」(TVアニメシリーズ(TV anime series)(1974年))等。
写真以下5枚。この日の昼食は、前から、ちょっと気になっていた、浅草(asakusa)areaにある、様々な種類のカレー(curry)が、自慢のメニュー(menu)の、カフェ(cafe)で食べました。この、カフェ(cafe)は、この時、初めて利用しました。
写真以下2枚。このカフェ(cafe)を訪れて、初めて知ったのですが、このカフェ(cafe)には、このカフェ(cafe)で飼われている(このカフェ(cafe)の、オーナー(owner)が飼っている)、大きな亀がいます(象亀(giant tortoise)かな。。。)。苺が大好物で、名前は、「苺」と言うようです。その為か、(食べるのには、予約が必要ですが)、このカフェ(cafe)には、苺カレー(curry)もメニュー(menu)にあります。
写真以下3枚。このカフェ(cafe)で食べた、この日の昼食。
カレー(curry)の付け合せ(side dish)の、サラダ(salad)。一人一皿ずつ。
写真以下2枚。この時、私が、このカフェ(cafe)で食べたカレー(curry)。アイスクリーム(ice cream)カレー(curry)。彼女は、この時、別の種類のカレー(curry)を食べました。ちなみに、この時、私が、カレー(curry)と共に飲んだ飲み物は、ラッシー(lassi)でした。
写真以下10枚。浅草(asakusa)にある、仏教の寺、浅草(sensou)寺。古くから、東京の庶民に、親しまれて来た寺です。浅草(sensou)寺は、仲見世(nakamise)通りと共に、古くから、浅草(asakusa)の観光の中心地となっています。浅草(sensou)寺は、とても歴史の古い寺で、歴史自体は、7世紀まで遡りますが、現在の建物の、ほとんどが、第2次世界大戦後(1950年代から1970年代初め)に、鉄筋コンクリートにより、再建された物です。第2次世界大戦後に、再建された、浅草(sensou)寺の建物については、外観は、17世紀に建てられた、先代の建物を、再現しています。
写真正面。浅草(sensou)寺の表玄関となる、雷門(kaminari)門。雷門(kaminari)門の前は、おそらく、東京で、最も人気のある、観光写真の撮影場所の一つです。先代の建物は、17世紀に建てられましたが、1865年に火事で焼失した後、長い間、仮の門でした。1960年に、およそ、100年ぶりに再建されました(外観は、17世紀に建てられた、先代の建物を再現した物)。
写真以下3枚。雷門(kaminari)門の、奥に続いているのが、仲見世(nakamise)通り。仲見世(nakamise)通りは、雷門(kaminari)門から、浅草(sensou)寺の本堂(mainの建物)へと続く、参道(お参りする道)であり、歩行者専用の、買い物通り(商店街)となっています。仲見世(nakamise)通りは、商店の建物が、19世紀後半に、近代的な建物となり、より一層栄えるようになりました。仲見世(nakamise)通りは、伝統工芸品、伝統的な、お菓子、東京及び日本の、お土産品、チープで風変わりな品物を売る店等が建ち並び、常時、賑わっています。この時、仲見世(nakamise)通りは、少し気が早く、桜の花をイメージした飾り付けがなされていました(この、桜の花をイメージした飾り付けは、おそらく、桜の花の時期の4月まで続けられると思います)。
写真以下2枚。この、大きな門は、17世紀に建てられた、先代の建物が、第2次世界大戦末期の空襲によって、焼失してしまった為、1964年に再建された物です(外観は、17世紀に建てられた、先代の建物を再現している)。
写真右側は、仲見世(nakamise)通りの店舗。
写真以下3枚。浅草(sensou)寺の、五重塔。高さは、約53mあります。先代の建物は、17世紀に建てられたものですが、第二次世界大戦末期の空襲により焼失。現在の建物は、1970年代の初めに、再建されたものです(外観は、17世紀に建てられた、先代の建物を再現している。17世紀に建てられた、先代の建物は、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)において、東京(当時は、江戸(edo)と呼ばれていた)で、目立つ建物の一つであった事でしょう)。
浅草(sensou)寺の本堂(hondo)(寺のmainの建物)です。先代の建物は、17世紀に建てられたものですが、第二次世界大戦末期の空襲により焼失。現在の建物は、1950年代後半に、再建された物です(外観は、17世紀に建てられた、先代の建物を再現している)。
写真以下2枚。浅草(asakusa)の風景例。。。
浅草(asakusa)を含む、東京の下町(東京の旧市街。東京都心部の東部)は、第二次世界大戦末期の、アメリカ軍による空襲により、壊滅的な被害を受けた為、下町(旧市街)とは言っても、ほとんどの建物は、第二次世界大戦後に建てられた物です。もっとも、第二次世界大戦前(1930年代以前)に建てられた建物も、少しは残っています。写真は、浅草(asakusa)に残る、1920年代から1930年代頃に建てられたと思われる建物の例。。。
浅草(asakusa)の、路地の風景例。。。
浅草(asakusa)を散歩途中に、適当に目に付いて入った、カフェ(cafe)で、のんびりとしたのですが、写真は、この時、私が、このカフェ(cafe)で飲んだ飲み物の一つ。Belle-Vue Kriek(ベルギー(Belgium)の、サクランボ(cherry)風味のビール)の、生ビール。
写真以下2枚。浅草(asakusa)の風景例。。。
写真以下7枚。この日の夕食は、浅草(asakusa)で、お気に入りの、庶民的な(まあ、お好み焼き(okonomiyaki)自体、庶民的な食べ物ですが)、お好み焼き(okonomiyaki)食堂で食べました。
お好み焼き(okonomiyaki)は、小麦粉を生地とした食べ物で、日本の代表的な大衆食の一つです。韓国のjeon・buchimgae(日本では、チジミと呼ばれている)に近い食べ物ですが、jeon・buchimgaeよりも、一般的に、具が多く、生地も厚いです。また、jeon・buchimgaeは、おそらく、韓国では、居酒屋の、おつまみとして、又は、付け合せ(side dish)として、食べられる事が、一般的だと思いますが、お好み焼き(okonomiyaki)は、(ビール等を飲みながら食べられる事が、一般的で有るものの)一般的に、食事として食べられます(したがって、日本には、お好み焼き(okonomiyaki)を専門とする、お好み焼き(okonomiyaki)食堂が、たくさん有ります)。お好み焼き(okonomiyaki)は、日本料理の中では、安い食べ物の位置にあります(韓国料理における粉食(プンシク・ブンシク)の地位に近い感じ?。。。もっとも、お好み焼き(okonomiyaki)食堂が、居酒屋代りに使われる事も有る等、韓国料理における粉食(プンシク・ブンシク)の位置とも、若干違う点も有る?と思いますが。。。)。
写真以下7枚。この、お好み焼き(okonomiyaki)食堂で食べた、この日の、夕食等。
この時、この、お好み焼き(okonomiyaki)食堂で、私が飲んだ、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)の一つ。ホッピー(hoppy)&焼酎。ホッピー(hoppy)(写真左側)は、ビールに味の似た飲み物で、ホッピー(hoppy)自体には、アルコール(alcohol)は、入っていないので、通常は、焼酎を、ホッピー(hoppy)で割って飲みます(写真右側のジョッキ(beer mug)に入っているのが、焼酎)。どれ位の比率で、焼酎をホッピー(hoppy)で割るのかは、個人の好みによりますが、ホッピー(hoppy)で、焼酎を5倍位に薄めると、だいたい、味も、アルコール(alcohol)度数も、ビールに近い、アルコール(alcohol)飲料となります(もっとも、ビールよりも、苦味が少なく、さっぱりとした味わいです)。
ホッピー(hoppy)は、第2次世界大戦後間も無く、日本が貧しかった時期(1940年代後半)に販売が開始され、当時、庶民にとっては、ビールが高級品で有った事から、焼酎を、ホッピー(hoppy)で割った飲み物は、ビールの代用品として、爆発的な人気を得ました。1950年代以降、急速な経済成長&経済復興と供に、ビールは、庶民にとっても、高級品で無くなって行きましたが、現在においても、東京の下町(旧市街)的な繁華街では、多くの、庶民的な居酒屋や、庶民的な飲食店の、飲み物のメニュー(menu)に、ホッピー(hoppy)が載っており、根強い支持者達により、好んで飲まれています(現在は、飲食店での、ホッピー(hoppy)(焼酎のホッピー(hoppy)割り)と、ビールの値段は、余り違いません。これは、ホッピー(hoppy)(焼酎のホッピー(hoppy)割り)の、日本の平均所得に比べた値段が上がった訳ではなく、逆に、第二次世界大戦後の経済成長により、日本の平均所得に比べたビールの値段が下がり、日本において、ビールが、従来の焼酎並の、大衆酒となった為です)。また、日本が貧しかった時期は、焼酎のホッピー(hoppy)割りは、ビールの代用品と言うイメージが、強かったが、焼酎のホッピー(hoppy)割りは、(ビールには含まれている)健康に悪いプリン体が含まれていない、割り具合によって、好きなアルコール(alcohol)度数に調節して飲める等、ビールとは違った良さが有り、ここ10数年位の間、こうした、ホッピー(hoppy)ならでは特徴が注目され、ホッピー(hoppy)は、再び存在感を増しつつあります。
この時、この、お好み焼き(okonomiyaki)食堂では、私は、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)は、ホッピー(hoppy)&焼酎(焼酎のホッピー(hoppy)割り)の他、ビール等を飲みました(この時、この、お好み焼き(okonomiyaki)食堂では、結構(割と、たくさん)、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)を飲みました)。
お好み焼き(okonomiyaki)食堂は、テーブル(table)の上の鉄板で、客が、自分で、お好み焼き(okonomiyaki)等を、好きな加減に焼く(調理する)形式の店と、店員が、お好み焼き(okonomiyaki)等を焼く形式の店に分かれますが、この、お好み焼き(okonomiyaki)食堂は、基本的に、客が、自分で、お好み焼き(okonomiyaki)等を、好きな加減に焼く(調理する)形式の店です。
写真以下6枚。この、お好み焼き(okonomiyaki)食堂で食べた、この日の夕食。全て、二人で分けて食べました。
写真以下2枚。海産物(seafood)、お好み焼き(okonomiyaki)(調理前)。混ぜて、テーブル(table)の上の鉄板で、焼いて食べます。
明太子(唐辛子を使用して味を付けた、鱈の卵。日本で、よく食べられていますが、韓国から来た食べ物かな。。。)、もんじゃ焼き(monjyayaki)(調理中)。もんじゃ焼き(monjyayaki)は、具だけを鉄板で炒める→具で、ドーナツ(doughnut)型の土手(堤防)を作る→具で作った土手(堤防)の内側に、汁を流し込む(上の写真は、この状態の物)→ある程度固まって来たら、具と汁を混ぜ合わす→もんじゃ焼き(monjyayaki)専用の小さな金属製のヘラ(spatula)を使って、お焦げを味わいながら、外側から食べて行く、と言う様に食べます。ちなみに、もんじゃ焼き(monjyayaki)は、見掛けが、(酒を飲み過ぎた時等に)人間の体から出る、ある物に似ている為、日本で、見掛けが悪い食べ物として、よく、からかわれる(冗談に使われる)食べ物ですw。
もんじゃ焼き(monjyayaki)は、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)で、古くから食べられている、庶民の食べ物です。もんじゃ焼き(monjyayaki)は、「小麦粉を溶かす水の量が、お好み焼き(okonomiyaki)に比べて、はるかに多く、汁に、ソース(sauce)などの調味料を、一緒に混ぜ込んでしまうのが特徴」です(「」内、wikiより抜粋)。もんじゃ焼き(monjyayaki)は、日本全国で、広く一般的に食べられている食べ物では無く、日本の、極一部の限られた地域で、よく食べられてきた食べ物で、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)等で、よく食べられて来た食べ物ですが(かつては、同じ東京でも、山の手(yamanote。新市街。東京中心部(東京23区)の西部)や郊外では、もんじゃ焼き(monjyayaki)は、基本的に、一般的では有りませんでした)、現在は、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)以外にも、広まりつつあります。もんじゃ焼き(monjyayaki)は、特に、第2次世界大戦後、間も無くから、1960年代半ば頃までの間(戦後の、日本が、貧しかった時代から経済復興期の間)、駄菓子(dagashi)店(下の説明参照)で提供される、おやつとして、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)の庶民の子供達の間で、とても、よく食べられていました。
駄菓子(dagashi)店:庶民の子供達でも、気軽に買えるようにと、cheapな材料で作られ、cheapな値段で販売され、第2次世界大戦前から1970年代において、日本の庶民の子供達の間で、よく食べられていた、子供向けの菓子(駄菓子・dagashi)を売る店。1950年代から1960年代半ば位の時期には、日本には、駄菓子(dagashi)店が、無数に(非常に多く)、存在していた様ですが、日本の庶民の購買力が上昇した事、アメリカ式のマートが急速に普及した事等から、そうしたマートで販売される、大規模な菓子会社の、種類豊富な、より質の高い菓子に、駄菓子(dagashi)は、圧倒され、駄菓子(dagashi)及び、駄菓子(dagashi)を販売する駄菓子(dagashi)店は、徐々に衰退して行きました。駄菓子(dagashi)店の衰退と供に、子供達の、おやつとしての、もんじゃ焼き(monjyayaki)は、衰退しましたが、もんじゃ焼き(monjyayaki)は、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)では、現在でも、根強い人気の大衆食として(お酒(アルコール(alcoholic)飲料)の、おつまみとして、人気が高い)、飲食店(お好み焼き(okonomiyaki)食堂・もんじゃ焼き(monjyayaki)食堂)で、よく食べられていますし、現在は、もんじゃ焼き(monjyayaki)は、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)以外にも、広まりつつあります。
豚肉、お好み焼き(okonomiyaki)(調理前)。混ぜて、テーブル(table)の上の鉄板で、焼いて食べます。
写真以下2枚。牛スジ(牛の、アキレス腱(Achilles tendon)の部分及び、その周辺の肉)、もんじゃ焼き(monjyayaki)(調理前)。
写真以下2枚。この日の夕食のデザート(dessert)は、店を移動し、Denny’s(下の補足説明参照)の、浅草(asakusa)の店舗で食べました。
Denny’s:ファミリーレストラン(family restaurant。主に家族客層を想定した(もっとも値段を含めた手頃さ・気楽さから、若者や若いカップル(couple)の利用も多い)規模の大きな大衆レストラン)のチェーン店(chain)の一つ。Denny’sは、元々、アメリカのチェーン店(chain)ですが、日本の店舗は、日本で独自にメニュー(menu)を作っています。
写真以下2枚。Denny’sの、浅草(asakusa)の店舗で食べた、この日の夕食の、デザート(dessert)。
私が、デザート(dessert)として(と言うか、デザート(dessert)代わりに)食べたw、軽食。魚介類(seafood)のパエリア(paella)。お好み焼き(okonomiyaki)食堂で食べた、お好み焼き(okonomiyaki)、もんじゃ焼き(monjyayaki)と合せて、かなり、腹が一杯になりました。
彼女が食べた、小さなサイズ(size)の、パフェ(parfait)。
東京散歩&食べ物4へ続く。。。
以下、おまけ。。。投稿の本文(「東京散歩&食べ物」)とは、全く、関係がありません。
写真以下。少し前の物ですが(一週間程、前の物ですが)、我が家の新聞の、折込みチラシ広告(定期購読している新聞に挟まれて来る広告)から。。。
写真以下3枚。NHK交響楽団(NHK Symphony Orchestra)(1926年設立)、東京交響楽団(The Tokyo Symphony Orchestra)(1946年設立)、東京都交響楽団(Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra)(1965年設立)、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団(Tokyo City Philharmonic Orchestra)(1975年設立)等と共に、東京を代表する、交響楽団(orchestra)である、東京フィルハーモニー交響楽団(Tokyo Philharmonic Orchestra)(1911年設立)の、定期演奏会の、チラシ(leaflet)より。。。。ちなみに、日本オーケストラ(日本orchestra)連盟に加盟する、33の交響楽団(orchestra)の内、東京フィルハーモニー交響楽団(Tokyo Philharmonic Orchestra)(1911年設立)を含む、13の交響楽団(orchestra)が、東京圏に拠点を置いています。
以下、東京フィルハーモニー交響楽団(Tokyo Philharmonic Orchestra)に関する説明は、wiki等を参考にしました。東京フィルハーモニー交響楽団(Tokyo Philharmonic Orchestra)(1911年設立)は、現存する、日本最古の交響楽団(orchestra)であると共に、日本最多の(世界的に見ても、最も多い水準の)楽団員数を有する、交響楽団(orchestra)です。
ちなみに、韓国の、世界的に有名な、指揮者(conductor)、Myung-Whun Chung(1953年生まれ)、は、2001年から2010年かけて、東京フィルハーモニー交響楽団(Tokyo Philharmonic Orchestra)の、スペシャル・アーティスティック・アドバイザー(Special Artistic Advisor)を務め、2010年以降は、東京フィルハーモニー交響楽団(Tokyo Philharmonic Orchestra)の、名誉指揮者(Honorary Conductor Laureate)となっています。Myung-Whun Chungに対して、東京フィルハーモニー交響楽団(Tokyo Philharmonic Orchestra)の、スペシャル・アーティスティック・アドバイザー(Special Artistic Advisor)に就任するよう、要請したのは、生前、東京フィルハーモニー交響楽団(Tokyo Philharmonic Orchestra)の会長を務めていた、大賀 典雄(ooga norio)(下の補足説明参照)です。
大賀 典雄(ooga norio):以下、大賀 典雄(ooga norio)に関する説明は、wikiを参考にしました。1930年、沼津(numazu)市(静岡(shizuoka)県(東京圏の南西部に隣接する県)の東部に有る中都市)の、材木商人の家に生まれる。2011年に亡くなる。日本の、実業家・ビジネスマン(businessman)(SONYの会長)、声楽家(baritone)、指揮者(conductor)。東京芸術大学(日本の芸術系の大学の中では、最高峰で有ると供に、東京大学、京都大学と並ぶ、日本を代表する、名門中の名門大学)の音楽部を卒業後、ドイツに留学し、1957年に、ベルリン国立芸術大学(Berlin University of the Arts)(ヨーロッパの芸術系の大学の中で、最大級の規模を誇る、ドイツの国立の、芸術系の大学)の、音楽学部を卒業した。1959年に、SONY に入社(入社して、しばらくの間は、声楽家(baritone)としても、活動していた)。SONYに入社後、広告部長、デザイン(design)室長を兼務し、SONYのブランド(brand)の基礎を築く。1964年、34歳の若さで、SONYの取締役に就任。1976年、SONYの副社長に就任。1982年、SONYの社長に就任。1995年、SONYの会長に就任。1999年、東京フィルハーモニー交響楽団(Tokyo Philharmonic Orchestra)の会長に就任。実業家・ビジネスマン(businessman)でありながら、クラシック音楽(classical music)に対する造詣、クラシック音楽(classical music)との関係が深く(ちなみに、大賀 典雄(ooga norio)は、CD(compact disc。オランダのPhilipsと、日本のSONYが共同で開発し、1980年代初めに、世界で初めて商品化した)の開発等で、Herbert von Karajanと、公私共に、縁が深かった)、私財(私的財産(個人財産))により、軽井沢(karuizawa)に、クラシック音楽(classical music)の公演場(concert hall)、軽井沢(karuizawa)大賀(ooga)hall(下の補足説明参照)を建設し、軽井沢(karuizawa)町に、寄贈した。
軽井沢(karuizawa)大賀(ooga)hall:2005年開館。大賀 典雄(ooga norio)が、私財(私的財産(個人財産))により、軽井沢(karuizawa)(長野(nagano)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)の、東京圏に接する場所に位置する。東京圏周辺を代表する、別荘地・避暑地)に建設し、軽井沢(karuizawa)町に、寄贈した、クラシック音楽(classical music)の公演場(concert hall)。敷地面積、約6,500平方m(2,000坪(tsubo)弱)、建物の床面積、約2,800平方m(850坪(tsubo)弱)、客席数784席。Daniel Harding(1975年生まれ。イギリスの、世界的に有名な、若手、指揮者(conductor))が、芸術監督を務めている。
東京フィルハーモニー交響楽団(Tokyo Philharmonic Orchestra)の、企業スポンサー(sponsor)には、SONY等と並び、Samsung とマルハン(Maruhan)(下の補足説明参照)も、名を連ねています。
マルハン(Maruhan):1957年創業。日本の、大規模、パチン・コ(pachinko)店・パチン・コ(pachinko)施設(下の補足説明参照)のチェーン(chain)経営会社の一つで、日本最大の、パチン・コ(pachinko)店・パチン・コ(pachinko)施設のチェーン(chain)経営会社。創業者は、韓国系の、日本の実業家、韓 昌祐(Han Chang-u)(1931年生まれ)。
パチン・コ(pachinko)店・パチン・コ(pachinko)施設:パチン・コ(pachinko)は、日本の庶民の娯楽の代表的な物の一つで、pinball machineとslot machineを合わせた様な機械を使ったgambleの様な物です。パチン・コ(pachinko)が行える、パチン・コ(pachinko)店・パチン・コ(pachinko)施設は、日本全国に、たくさん有ります。ちなみに、私は、パチン・コ(pachinko)には、全く、興味がありませんw
東京フィルハーモニー交響楽団(Tokyo Philharmonic Orchestra)が、定期演奏会を、行う、クラシック音楽(classical music)等の、公演場(concert hall)。左から、Bunkamuraオーチャードホール(Orchard Hall)(渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺。東京都心部の西部に位置する)に位置する。東京フィルハーモニー交響楽団(Tokyo Philharmonic Orchestra)が、拠点としている、コンサートホール(concert hal))、東京opera cityコンサートホール(concert hall)(東京都心部の西部に位置する)、サントリーホール(Suntory Hall)(東京都心部でも、中心的な地域の南西部に位置する)。私は、クラシック音楽(classical music)は、あまり聴かないので、詳しくないですが、何れも、世界的に見ても、非常に質が高い、クラシック音楽(classical music)の、公演場(concert hall)の様です。
写真以下2枚。地価が高い、東京都心部でも中心的な地域の南西部areaの、墓地の広告。この墓地は、私の、職場(事務所)の近くにあります。
赤い矢印の場所に、墓地があります。