ちなみに、後述する、世界貿易センタービル(world
trade center
building)(1970年に完成。高さは、162.59m)は、再開発の為、現在、新しい建物(高さ約233.5mの超高層ビル。来年(2027年に)完成予定)に、建て替え工事中です。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は休日を外で過ごす事は好きで、美味しい物を食べる事、自然の中を散歩する事、温泉に入浴する・温泉旅館等の温泉宿泊施設に宿泊する事、芸術や花を愛でる(鑑賞する)事等は、好きなのですが、本格的な登山やキャンプ等のアウトドアは好みません。
私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになりました。」
ちなみに、私の今の彼女と、私の元カノは、元々、面識はあり、知り合い同士であったのですが、今は、親しい友人同士となっています。
参考に、以下、「」内。2018年に行った投稿から抜粋して来た物です。
「前述の通り、実は、私の気が多い性格から、私の今までの、恋愛の結末のほとんどが、交際相手の女性にとっては、GO
BANG‘Sの曲の、「BYE-BYE-BYE」の歌詞のような結末で終わらせてしまったのですが(本当に、ごめんなさい)、私が当時、交際していた女性(私の元カノ)と別れた原因も、私が当時、交際していた女性(私の元カノ)には、本当に、申し訳なかったのですが、私が、私の今の彼女の事を、とても好きになってしまった事です(ちなみに、その時、私の今の彼女は、とても若かったのですが、その時、私は、別に、私の今の彼女の、その点に、惚れた訳では全くありませんw)。
私は、私の元カノと、親しい友人として、現在まで、ずっと交流が続いています。ちなみに、私の元カノは、私と別れた後、今、夫となっている男性(結婚した男性)とは違う男性達との交際やデートの経験を経て(ちなみに、私は、その事に関して、よく、その元カノの相談に乗る等していました)、比較的、最近の話なのですが、優しく頼りがいのある素敵な男性(彼女の事を、十分に幸せにしてくれるであろう男性。ちなみに、その男性は、長身でイケメンですw)を見つけて結婚をし、今は、主婦として幸せに暮らしています。
また、私の今の彼女と、私の元カノは、元々、面識はあり、知り合い同士であったのですが、今は、親しい友人同士となっていて、私の今の彼女と、私が当時、交際していた女性(私の元カノ)は、二人きりで遊びに出掛けたりもしています。二人とも、趣味や価値観があって、とても仲が良いようです。それは、もしかしたら、前述の通り、私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになったのですが、その事も、関係しているのかもしれませんw」
以下、基本的に、2011年の9月の後半に行った投稿の再掲で(投稿文は、2011年の9月の後半の投稿を前提としています)、2011年の5月の後半に、当時交際していた、私の元カノと、東京都心部の海沿いを散歩して来た時の物です。
以下、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)の続きです。
ヴァンテアン(東京港)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/4071985?&sfl=membername&stx=nnemon2
少し前の事ですが、5月の後半の土曜日に、東京都心部の海沿いを散歩して来た時の続きです。
写真以下7枚。ヴァンテアン(VINGT
ET
UN)(東京港を遊覧するレストラン船の一つで、フランス料理の、レストラン船)の昼食クルーズ(cruise)を楽しんだ後は(すぐ上でリンクを付けた前回の投稿を参照)、ヴァンテアン(VINGT
ET
UN)の発着する竹芝takeshiba)桟橋に近い、浜松町(hamamatsucho)(竹芝takeshiba)桟橋から徒歩10分程)にある、日本庭園(日本伝統式の庭園)、芝離宮(shibarikyu)恩賜(onshi)庭園を、のんびり散歩しました。この日本庭園(面積約43,200平方m(約13,000坪))は、1924年に、当時の東京市(現在は、この庭園は、東京都(日本の47都道府県(prefecture)の一つ。主として、東京中心部(東京23区)及び東京の西部郊外・近郊から成る)が、保有・管理しています)の所有となり、一般に、公開されるまで、結構頻繁に、所有者が変わっています。以下、芝離宮(shibarikyu)恩賜(onshi)庭園についての説明は、芝離宮(shibarikyu)恩賜(onshi)庭園のパンフレット(leaflet)及びwikiを参考にしました。
芝離宮(shibarikyu)恩賜(onshi)庭園のある場所は、かつて海でしたが、1655年から1658年頃に、埋め立てられ、1678年に、小田原(odawara)大久保(ookubo)家(当時、小田原(odawara)(現在の東京圏の南西端areaにある中都市(中規模程度の人口を有する都市))を中心とした、概ね、現在の東京圏の南西端areaに当たる地域を、統治していた地方領主)の、東京の別荘(別邸)の一つになりました。小田原(odawara)大久保(ookubo)家は、別荘(別邸)を建てる際に、領地の、小田原(odawara)から、庭師(garden
designer・gardener)を呼び寄せて、庭を作り、これを、「楽壽園」(rakujyuen)と名づけました(これが、現在の芝離宮(shibarikyu)恩賜(onshi)庭園の原型となりました)。その後、1818年まで、小田原(odawara)大久保(okubo)家の、東京の別荘(別邸)の一つでしたが、その後、いくつかの上流層の家の所有を経て、1846年に、紀州(kisyu)徳川(tokugawa)家(徳川(tokugawa)将軍(shogun)家(江戸(edo)(現在の東京)を拠点として、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)に、日本全国の地方領主達の長(leader)として、日本を実質的に統治していた家)系の、とても有力な地方領主の家。現在の、和歌山(wakayama)県及び三重(mie)県に当たる地域を統治していた。徳川(tokugawa)家(徳川(tokugawa)将軍(shogun)家)系の家の中では、江戸(edo)(現在の東京)の徳川(tokugawa)将軍(shogun)家、尾張(owari)徳川(tokugawa)家(現在の名古屋(nagoya)都市圏の中心地域(愛知(aichi)県西部)に当たる地域(及び、その周辺部等)を統治していた)に次ぐ力を有していた)の、東京の別荘(別邸)の一つとなりました。1871年には、皇族(天皇の一族(親族))の、有栖川宮(arisugawanomiya)家(歴代、書道・歌道の師範を勤めて、天皇家及び皇族(天皇の一族(親族))の信任が篤く、また、徳川(tokugawa)家等とも、婚姻関係を結び、天皇家及び皇族(天皇の一族(親族))とも、武家(侍(samurai)の家柄)の上流層とも、密接だった。wikiを参考にしました。。。)の所有となりましたが、1875年に、宮内省(天皇および皇族(天皇の一族(親族))の日常生活、教育、財産管理等、あらゆる側面を支える官庁。wikiより。。。)が、これを買い上げ、翌年には、離宮(天皇家の別荘(別邸))の一つ、芝離宮(shibarikyu)となりました。芝離宮(shibarikyu)は、1923年の関東大震災(東京圏を襲った巨大地震。東京中心部等が、大きな被害を受けた)に伴う火災で、建物と樹木(木々)の、ほとんどを焼失しましたが、翌年の、1924年1月、昭和(syowa)天皇(先代の天皇)の、御成婚(結婚)記念として、当時の東京市(現在は、芝離宮(shibarikyu)恩賜(onshi)庭園は、東京都(日本の47都道府県(prefecture)の一つ。主として、東京中心部(東京23区)及び東京の西部郊外・近郊から成る)が、保有・管理しています)に、下賜され(与えられ)、庭園の復旧と整備が施されて、同年(1924年)4月に、一般に公開され、現在に至っています(芝離宮(shibarikyu)恩賜(onshi)庭園は、1933年に国の史跡に指定されました。東京中心部(東京23区)に現存する、江戸(edo)時代の大名庭園(地方領主の庭園)は、少ないですが、芝離宮(shibarikyu)恩賜(onshi)庭園は、(当時の東京市の所有となる前)最終的に、天皇家の所有となった事が、残された大きな要因であると言えるでしょう。。。)。

庭園の池は、昔は、海の水を引き入れた池でしたが、現在は、淡水の池となっています。





向こうに見える、茶色い超高層ビルは、世界貿易センタービル(world
trade center
building)。1970年に完成した、office用のビルです。高さは、162.59m。設計は、日本の世界最大級の建築設計事務所である日建設計(Nikken
Sekkei)と、日本の構造力学(structural mechanics)研究所である武藤(muto)構造力学(structural
mechanics)研究所です。このビルを管理・運営している日本のビル管理・運営会社は、アメリカのNew
Yorkに本部がある、世界貿易センター連合(world trade center
association)の創立memberです。このビル、現在見ると、何てことない(特別高くもない)、少し、古ぼけた、超高層ビルですが、実は、歴史的意義があるビルで、1970年に完成した当時、(それまで、アジアで最も高いビルであった、日本の、霞ヶ関(kasumigaseki)ビルを抜き)、アジアで最も高いビルでした。もっとも、アジアで最も高いビルの座に君臨した期間は短く、アジアで、最も高いビルの座は、1971年に、東京都心部西部の新宿に完成した、keio
plazaホテルの建物(高さは、178m。完成当時アジアで最も高いビル。日本で、最初、また、アジアでも最初の超高層ホテル。設計は、日本の建築設計事務所、日本設計)に、奪われてしまいました。ちなみに、1960年代において、日本は、日本の様な地震地帯の大地震でも、大丈夫な超高層ビルを設計・建築する技術が成熟するに至り、1968年に、ようやく、日本初の超高層ビル、霞ヶ関(kasumigaseki)ビル(高さ、156mのoffice用ビル。日本初且つアジア初の超高層ビルであり、完成当時、アジアで最も高かったビル。設計は、日本の不動産会社である三井(mitsui)不動産の建築設計部門と、日本の建築設計事務所である山下寿朗(yamashita
toshirou)設計事務所)が東京都心部の霞ヶ関(kasumigaseki)に完成しました。なお、高層towerに関しては、日本では、既に、1950年代には、日本の様な地震地帯の大地震でも、耐えられる様な、建築設計技術が確立しており、1950年代から、1960年代初期にかけて、名古屋
(nagoya)TV
tower(1954年完成。高さ180m。1929年に完成した、高さ250mの日本の依佐美送信所鉄塔の様な支線式の鉄塔を除けば、完成当時アジアで最も高い建築物)、東京tower(1958年完成、高さ約333m。完成当時は、観光施設としての側面も持つ、展望台付きのtowerとしては、世界一高いtowerであると共に、名古屋
TV towerを抜かし、アジアで、最も高い建築物)等、日本の大都市で、展望台付き高層towerの建設boomがありました。


通勤電車の駅から眺めた、汐留(shiodome)の超高層ビル郡の一部。汐留(shiodome)は、200m級の超高層ビルが建ち並ぶ、東京都心部のビジネス(business)・商業地区です(東京都心部でも中心的地域の東南部に位置する)。竹芝(takeshiba)桟橋や、芝離宮(shibarikyu)恩賜(onshi)庭園のある浜松町(hamamatsucho)から、汐留(shiodome)は、割と近いです(竹芝takeshiba)桟橋からは、無人運転の新交通system(automated guideway transit)で、1駅。浜松町(hamamatsucho)からは、通勤電車で1駅)。

この写真は、借り物ですが、汐留(shiodome)にある、Panasonic電工(denko)東京本社ビル。
この時、汐留(shiodome)にあるPanasonic電工(denko)東京本社ビル内にある、Panasonic電工(denko)、汐留(shiodome)museum(下の補足説明参照)で、行われていた、ルオー(Georges
Rouault)の風景画の、展覧会(exhibition)を、少し見ようと思っていたのですが、既に、この美術館の、この日の、最終入館時間だか、閉館時間だかが過ぎていました(汐留(shiodome)に着いてから、Panasonic電工(denko)、汐留(shiodome)museumは、節電(東京areaは、(東日本大震災(3月に起こった、東日本(日本の東北地方や東京圏の)大規模地震。特に、日本の東北地方の東海岸(太平洋側)が、津波(tsunami)を含めて(と言うか、特に、津波(tsunami)により)、大きな被害を受けた)による)原子力発電所の問題により、電気の供給力が、通常よりも弱まっている為、、節電(電気の節約)の雰囲気にあります(ちなみに、現在は、節電の雰囲気は、一時期程ではありません))の為、閉館時間が、通常よりも、1時間早くなっている事に、気付きました)。
Panasonic電工(denko)、汐留(shiodome)museum:Panasonic電工(denko)(旧(かつての)松下(matsushita)電工(denko))(1918年創業。1935年設立)は、日本の、照明機器、電気設備、健康家電、介護・福祉機器、制御機器等の大規模会社で、大阪(東京に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する都市)に本社があります(ただし、東京にも本社があり、本社機能を分散させています)。Panasonic(旧(かつての)松下(matsushita)電気産業。本社は大阪。日本の大規模、電気製品会社。1918年創業。世界に、(一般的に)知られているPanasonicは、こちらの方)と、根っこは同じ会社ですが(Panasonic電工(denko)は、元々、Panasonicの一部門であった)、1935年に、Panasonicから分社化しました(Panasonicとは、別の会社となりました)。Panasonic電工(denko)、汐留(shiodome)museumは、Panasonic電工(denko)が運営する、私営の、小規模美術館で、Panasonic電工(denko)東京本社ビル内にあります。コレクション(collection)の中心は、ルオー(Georges
Rouault)の作品となっており、ルオー(Georges
Rouault)の作品の充実したコレクション(collection)を有しています(おそらく、Panasonic電工(denko)の、元(かつての)会長が、ルオー(Georges
Rouault)が好きであった為。。。)。また、ルオー(Georges
Rouault)とは関連性の薄い企画展示(exhibition)も行われますが、住宅や照明、陶磁器の様な、生活関連の美術品の展示(Panasonic電工(denko)の事業を関わりの深い、「建築・住居」、「生活文化」をテーマとする企画展(exhibition))が多いのも、特徴となっています(説明文は、wiki及び、美術館のsiteを参考にしました)。

汐留(shiodome)にある、電通(dentsu)本社ビル。電通(dentsu)(1901年設立)は、日本の大規模広告会社(広告代理店)の一つであり、世界最大級の広告会社(広告代理店です)。
Panasonic電工(denko)、汐留(shiodome)museumの、閉館時間が、思っていたよりも早くて、お目当ての、ルオー(Georges
Rouault)の風景画の、展覧会(exhibition)を見られなかった事から、電通(dentsu)本社ビルの地下にある、アド・ミュージアム東京(advertising
museum
tokyo)(電通(dentsu)が運営する(まあ、厳密には、微妙に違いますが、ここでは、面倒くさいので、説明を省きます)、広告に関する博物館。入場料は、無料。私達は、まだ、入館した事がありません。。。)を見ようと思ったのですが、アド・ミュージアム東京(advertising
museum tokyo)も、この日の閉館時間を過ぎていました。
写真以下5枚。この日の夕食は、カレッタ(caretta)汐留(shiodome)(電通(dentsu)本社ビルの商業・文化施設area。電通(dentsu)本社ビルの地下2階から地上3階までと、46階、47階に位置する。レストラン(食堂)街、劇場、アド・ミュージアム東京(advertising
museum
tokyo)等がある)の、地下レストラン街で、適当に目に付いて、入った、安い、スペイン料理系の、バー(bar)と言った感じの店で食べました。この店は、この時、初めて利用しました。味は、まあ、安いなりの味でした。ちなみに、この店は、電通(dentsu)の社員(会社員)は、割引が効く様です。


写真以下3枚。この日の夕食。これにパンが付きます。全て、二人で分けて食べました。

奥、ゴボウの揚げ物。手前、ローストビーフ(roast beef)、パルミジャーノ(Parmigiano-Reggiano)風味。ローストビーフ(roast beef)は、値段の割に、美味しかったです。

サラダ(salad)。上に載っているのは、チーズ(cheese)です。

魚介(seafood)のパエリア(paella)。