先々週末から先週の初めは、金曜日は、個人的に休みで(彼女も、休み)、東京の我が家の近場で初詣に行って来て、土曜日と日曜日は、ちょっと慌ただしかったのですが、長野(nagano)県の別荘(別荘とは言っても庶民的な中古の一戸建て住宅ですが)に滞在して、周辺のスキー場(ski resort)で滑って来て、月曜日(祝日)は、私だけ、休みでした。で、月曜日(祝日)は、珍しく、私一人で、ブラブラと散歩に出かけました。一人なので、彼女とは行かないだろう場所で、行って見たかった場所、東京の北部郊外(埼玉(saitama)県)に有る鉄道博物館に行って来ました。
写真以下2枚。大宮(oomiya)駅。東京の北部郊外最大級の駅です。大宮(oomiya)駅は、東京の都心から30km程離れており、東京の都心からは、近郊型電車、又は、比較的速い通勤型電車(韓国式に言えば地下鉄)で、30分程です(新幹線だと20分程)。個人的に、この駅に降り立つ機会は、仕事でも、プライベート(private)でも、めったに有りません。鉄道博物館は、この大宮(oomiya)駅から、ニューシャトル(New Shuttle)と言う、新都市交通systemで一駅の所に有ります。

大宮(oomiya)駅周辺は、東京の北部郊外最大の繁華街で有ると供に、東京の北部郊外最大級のビジネス(business)・商業地区となっています。この日は、東京areaは、どんよりとした曇りの天気でした。大宮(oomiya)駅で、しばし、迷う。。。ニューシャトル(New Shuttle)の大宮(oomiya)駅は、JRの大宮(oomiya)駅とは、別の場所に有るのかと思って、一度駅の外に出ましたが、違って、何だか丸井の入るビルの中を通ったりしてw、(JRの)大宮(oomiya)駅に戻ったら、大きなJRの大宮(oomiya)駅の片隅に、ニューシャトル(New Shuttle)の乗り場が、有りました。
写真以下3枚(写真以下2枚は、帰りに撮影した物)、ニューシャトル(New Shuttle)。ニューシャトル(New Shuttle)は、1983年に開業した、大宮(oomiya)駅と、その近郊の住宅地等を結ぶ、全長12.7kmの新都市交通systemです。神戸(kobe)のport linerや、横浜のseaside line、東京都心部のbay areaを走る、ゆりかもめ(yurikamome)等の様な、自動無人運転では無く、乗務員が乗車しています。鉄道博物館は、大宮(oomiya)駅から、ニューシャトル(New Shuttle)で一駅の所に有ります。ニューシャトル(New Shuttle)に乗車したのは、今回が初めてです。
動いている物を撮影するのは、苦手で。。。^^;
一応、止まっている時に撮影し直す(帰りに、大宮(oomiya)駅にて。。)。
これは、写真の転載が自由なsiteから借りて来た写真。1983年の開業時からの車両です。
鉄道博物館は、東京都心に有った、交通博物館(下の補足説明参照)が、2006年に閉館し、新たに、郊外に移転する形で、名称と形式の一部を変更すると供に2007年に再openした形の、非常に規模の大きな鉄道専門の博物館です。前身の交通博物館が、交通に関する総合的な博物館で有ったのに対し、鉄道博物館は、基本的に鉄道専門の博物館となっています(現在、日本に有る、交通に関する総合的な博物館で、規模の大きな物は、大阪(東京に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する都市)に有る、交通科学博物館(1962年開館)です。私は、この博物館は、訪れた事が有りません。)。
交通博物館(東京):1921年に開館した鉄道博物館の後継の博物館として、1936年に開館。交通に関する総合的な博物館で有った。東京都心部の中でも、さらに中心部に有った同博物館は、建物(1936年の開館時に建てられた建物で、2006年の閉館まで使われていた現代建築の建物)や敷地が、展示品の増加に対応しきれなくなった為、2006年に一度閉館。郊外に移転し、2007年、鉄道専門の博物館、鉄道博物館として再openした。
私は、鉄道を含めた乗り物全般に広く浅く興味が有り、鉄道博物館は、open以来、行ってみたいと思っていた場所でした。私は、子供の頃、博物館が好きで、鉄道博物館の前身の交通博物館にも、よく行きました(幼い時は、親に連れて行って貰ったが、小学校4年生頃からは、同じ興味を持つ友達(達)と、小学生だけで行く様になった。中学生になってからは、ほとんど行かなくなりましたが。。。)。今回、童心に帰って、とても楽しめました。
ニューシャトル(New Shuttle)の鉄道博物館駅(元は、大成(oonari)駅と言う名前でしたが、鉄道博物館の開館に伴い、鉄道博物館駅と言う名前になりました。また、駅も、鉄道博物館の開館に合わせて、改装された様です)。鉄道博物館駅は、大宮(oomiya)駅から、ニューシャトル(New Shuttle)で一つ目の駅です(大宮(oomiya)駅から、約1.5km)。もう、駅からして、如何にも鉄道博物館と言った感じです。鉄道博物館駅は、鉄道博物館に、直結しています。
鉄道博物館は、非常に大きな、鉄道専門の博物館で、鉄道発祥の地、イギリスに有る、イギリス国立鉄道博物館(National Railway Museum。世界最大の鉄道専門博物館)には及ばないものの、おそらく鉄道専門の博物館としては、世界で、それに次ぐclassの物だと思います。日本は、世界最先端の自動車技術を有する国の一つで有ると供に、世界有数の自動車生産台数を有し、(中国、アメリカに次ぎ)世界第3位の規模の国内自動車市場を有すると供に、自動車が、主要な輸出品になる等、世界的には、自動車工業大国(ただし、人口1,000人当りの自家用車保有台数は、西ヨーロッパと同程度であり、アメリカには、及ばない)と言うイメージが、強いと思いますが、(モータリゼーション(motorization)の進行(日本でも、田舎の主要な交通手段は、アメリカ同様、自動車です)や、都市化の進行による田舎の人口減少に伴う、(田舎の)鉄道の利用者減によって、過去に廃線になった路線が、数多く有るものの、依然として)緻密な鉄道網を有する国の一つで有ると供に、世界で最も時間に正確な鉄道運行systemを有する国の一つで有り、また、世界最先端の鉄道技術と、非常に豊富な鉄道車両の種類(おそらく、鉄道の車両の種類は、数多くの私営鉄道会社を有する日本が、国別では、世界で、最も豊富では無いでしょうか。。。)を有する、鉄道大国でもあります。日本は、国土面積が、それ程広く無く、人口密度も高いので、アメリカ等と違って、国内都市間の移動の公共交通の主役は、飛行機では無く、鉄道となっています(もちろん、鉄道だと4時間以上かかる等、それなりの長距離の都市間移動であれば、飛行機を利用する人が多いですが。。。)。
写真以下8枚。鉄道博物館。鉄道博物館は、今回初めて、訪れました。子供が、多かったです。鉄道好きは、非常に楽しく、鉄道に興味が無い人でも、それなりに楽しく過ごせる様に展示の工夫がなされている様な印象を受けました(これならば、彼女と来ても、良かったかな。。。)。男女の職員は、全般的に若く、活き活きと楽しそうに働いている印象を受けましたし(やはり、鉄道好きが多いのかな。。。でも、女性の職員に関しては、鉄道の展示に目を輝かせる子供達の姿を見るのが、好きなのかも。。。)、展示品の説明を行う、鉄道博物館所属の、鉄道好きのボランティア(volunteer)の姿(高齢者の男性が多かった)も、よく見ました。全般的に雰囲気の良い博物館で、非常に楽しめました。


写真以下2枚。鉄道博物館から離れますが、汐留(shiodome)。200m級の超高層ビルが建ち並ぶ、東京都心部のビジネス(business)・商業地区です(写真は、kjで前にアップ(upload)した物の再利用)。


写真以下5枚(写真は、kjで前にアップ(upload)した物の再利用)、汐留(shiodome)の片隅には、鉄道の新橋(shinbashi)駅の開業当時の場所に、1872年の開業当時の駅舎の外観を再現して建てられた建物が有ります。
写真奥に見える建物が、そうです。1872年に、新橋(shinbashi)駅と横浜駅の間(29km)に、日本で、初めての鉄道路線が開業しました。


写真以下、再び鉄道博物館の話しに戻り、鉄道博物館の展示例。鉄道博物館は、JR東日本(1987年に、日本の国営鉄道会社で有った、日本国有鉄道(Japanese National Railways)が、7つの会社(旅客を扱う会社が6つ、貨物を扱う会社が一つ)に分割民営化された際に、生まれた会社の一つ。旧日本国有鉄道の、東京都市圏、東北地方、中部地方の北東部の路線の旅客輸送営業を引き継いでいる)が運営しているので、必然的に、収蔵・展示品は、旧日本国有鉄道関連の物が主体となっている様です。
1872年に開業した、東京の新橋(shinbashi)駅の開業当時の駅舎の模型です。1872年に、新橋(shinbashi)駅と横浜駅の間(29km)に、日本で、初めての鉄道路線が開業しました。開業時の車両は、イギリスから輸入された小型の蒸気機関車10両、また、開業時の列車本数は1日9往復、全線所要時間は53分でした(wikiより)。この、新橋(shinbashi)駅と横浜駅の間の鉄道開業を手始めに、日本では、次々と、鉄道の路線が整備され、新橋(shinbashi)駅と横浜駅の間の鉄道開業から30年余りで、日本の鉄道網は、7,000kmを突破しました(wikiより)(ちなみに、現在の日本の鉄道の総延長距離は、算定方法により差が有る様ですが、だいたい、27,000kmから28,000km位かな。。。)。
新橋(shinbashi)駅と横浜駅の間の鉄道路線開業時(1872年)にイギリスから輸入された小型の蒸気機関車10両の内の1両です(製造年は、1871年)。
1号御料車。1877年に作られた、1番目の御料車(皇室(天皇の一族)専用の鉄道車両)です。
北海道(hokkaido)の開拓に使われた蒸気機関車の一つです。1880年にアメリカから輸入された物です(製造も、1880年)。
積雪量の多さにおいて、世界有数の国で有る日本は、積雪量が非常に多い、北海道(hokkaido)、東北地方、新潟(nigata)県、長野(nagano)県、群馬(gunma)県を中心に、冬の期間中、列車の定時運転と安全運行を守るために多大な努力が払われてきました。鉄道博物館では、日本の鉄道における、雪に対する対策及び、その歴史に関する、小規模な企画展示(exhibition)が行われていました(4月の初めまで開催中)。写真以下5枚は、その展示例です。
初期(1880年代から1910年代)の雪かき車両の模型です。
1920年代の雪かき車両の模型です。
写真以下3枚。1920年代から1930年代の雪かき車両の模型。

何だか、格好良い。。。
1914年完成した東京駅の模型。この駅の建物は、建てられてから、100年近く経ちますが、現在も、東京を代表する駅、東京駅の駅舎として、活用されています。
写真以下2枚。1910年代から1920年代の、庶民が利用した、三等(third-class)の車両の車内を再現した物です。

写真以下5枚。初期の頃(1910年代)の大都市の通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)車両です。これは、庶民が利用した、三等(third-class)の車両です。この頃は、まだ、通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)の車両も、一等(first-class)、二等(second-class)、三等(third-class)と分かれていた様です。

写真以下3枚。1914年に製造された、7番目の御料車(皇室(天皇の一族)専用の鉄道車両)です。
内部の様子。
写真以下3枚。同じく1914年に製造された、9番目の御料車(皇室(天皇の一族)専用の鉄道車両)です。
写真以下2枚。内部の様子。
写真以下5枚。1919年にデビュー(debut)した、C51型蒸気機関車(展示車両は、1920年に製造された物)。主要幹線の旅客用列車の機関車として活躍しました。
写真以下3枚。1920年代から1930年代の、庶民が利用した、三等(third-class)の車両です(展示車両は、1927年に製造された物)。

写真以下7枚。富裕層が利用した、一等(first-class)車両の1930年代の展望車(observation car)(展示車両は、1930年に製造された物)。


写真以下2枚。1922年に製造された、10番目の御料車(皇室(天皇の一族)専用の鉄道車両)です。イギリスの皇太子の来日に合わせて、新たに製造された、国賓用の車両です。
内部の様子。
写真以下3枚。1924年に製造された12番目の御料車(皇室(天皇の一族)専用の鉄道車両)です。
写真以下2枚。内部の様子。
写真以下7枚。1930年代の、大都市圏の通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)の車両です。展示車両は、第二次世界大戦前の、日本の通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)車両を代表する車両の一つです。基本的には、現代の通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)車両と、あまり変わりません。この頃には、おそらく、通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)の車両に関しては、一等(first-class)、二等(second-class)、三等(third-class)の区別はなくなり、通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)に乗って、背広(suit)姿の会社員が通勤する姿や、制服姿の学生が通学する姿は、現在と、それ程変わらなかった事でしょう。


写真以下2枚。車内には、当時の乗客の様子を再現した人形が置かれています。

写真以下3枚。日本国有鉄道が運営していたバス(bus)の1930年代の車両です(展示車両は、1930年に製造された物で、国産のバス(bus)車両です。名古屋(nagoya)(日本第3の都市圏人口を有する都市)近郊の都市間移動路線で活躍したバス(bus)です。)。鉄道博物館は、基本的には、鉄道専門の博物館ですが、一部、日本国有鉄道に関連していた、鉄道以外の乗り物に関する展示が有ります。
亜庭丸(aniwamaru)の模型。亜庭丸(aniwamaru)は、日本国有鉄道が、1920年代から1940年代半ばまで、北海道(hokkaido)の最北端の都市、稚内(wakkanai)と、当時、日本領で有った南樺太(下の補足説明参照)の、最南端の都市、大泊(Korsakov)を結ぶ航路で使用していた、砕氷機能を持つ客船です。当時、日本国有鉄道が、同航路で使用していた姉妹客船として、宗谷丸(soyamaru)(同じく、砕氷機能を持つ)が有ります。
南樺太:樺太(Sakhalin。北海道(hokkaido)の北部に有る、面積76,400km²の島)の南半分。日露戦争(Russo–Japanese War)の日本の実質的な勝利により、1905年に、ロシア(Russia)より日本に割譲されるが、第2次世界大戦末期、ソビエト(Soviet)連邦が、日ソ中立条約(Japanese-Soviet Nonaggression Pact。1941年)を破棄し、1945年8月に、南樺太に、軍を侵攻させる。日本軍は、これを阻止する事が出来ず、以来、南樺太は、実質的にソビエト(Soviet)連邦(現、Russia)の統治下に置かれている。
金剛(kongou)丸の模型。金剛(kongou)丸は、日本国有鉄道が、1930年代から1940年代半ばまで、日本の下関(shimonoseki)と韓国の釜山を結ぶ航路で使用していた客船です。何か、現在の、日本の下関(shimonoseki)と韓国の釜山の間のフェリー(kampu ferry・ pukwan ferry)よりも、豪華な感じですね(kampu ferry・ pukwan ferryは、乗った事ないけど。。。)。
写真以下10枚。C57型蒸気機関車。後期(1937年)にデビュー(debut)した、旅客用列車の蒸気機関車です(展示車両は、1940年に製造された物)。
列車の回転台の回転実演を待つ人々。
マイク(mike)を持っている人は、列車の回転台の回転実演に関する説明を行う、鉄道博物館の職員。
写真以下7枚。C57型蒸気機関車を載せた、回転台が一回転し、回転を始める時に1回、回転中に2回、回転が終了した時に1回、合計4回、C57型蒸気機関車が汽笛を鳴らします。本来ならば、蒸気機関車は、蒸気を利用して、汽笛の笛を鳴らすのですが、ここでは、代りに、圧縮した空気を送り込んで、汽笛の笛を鳴らしています。

鉄道博物館のレストラン(cafeteria形式)は、NRE(Nippon Restaurant Enterprise。JR東日本の新幹線や中・長距離特急電車(express)の車内販売等を手がける会社で、かつて、日本国有鉄道の食堂車両の運営を手がけていた会社、日本食堂を起源に持つ会社の一つ)が、運営しています。
鉄道博物館のレストランで食べた昼食。かつて、日本国有鉄道の食堂車両で提供されていた、ビーフシチュー(beef stew)を再現した物です。日本人は、ビーフシチュー(beef stew)とパンの組み合せでは無く、ビーフシチュー(beef stew)と、ご飯(rice)の組み合せで食べる事も多いです。
EF58形電気機関車。EF58形電気機関車は、第2次世界大戦後、間も無い、1946年にデビュー(debut)した、旅客用列車の電気機関車です。EF58形電気機関車は、1946年から1948年にかけて製造された初期型と、1952年から1958年にかけて製造された改良型に分かれます。第2次世界大戦中に旅客用列車の電気機関車の新規製造は中止されていましたが、第2次世界大戦直後の混乱期には、旅客輸送需要は買い出し客を中心に激増する一方、第2次世界大戦前に製造された電気機関車は、戦時中の酷使によって疲弊が著しく、旅客用電気機関車は所要数の不足をきたしていた為、EF58形電気機関車の初期型は、このような事情から、第2次世界大戦前最後に新造された旅客用電気機関車EF57形と同等の水準を狙って、急遽製造されたものです(wikiより)。一方、1952年から1958年にかけて製造された改良型は、EF58形電気機関車の初期型の性能等に関して、時代に合う様に、大幅な改良を加えた物で、日本国有鉄道の旅客用列車の電気機関車の主力として活躍し、第2次世界大戦後の日本の電気機関車の基礎の一つとなりました。展示車両は、EF58形電気機関車の改良型で、1956年に製造された物です。
20系客車。1958年にデビュー(debut)した、長距離を走る、寝台特急電車用客車(sleeping car)です(展示車両は、1964年に製造された物)。第2次世界大戦後の、日本の寝台特急電車用客車(sleeping car)の基礎となった車両です。
写真以下3枚。101系電車。1957年にデビュー(debut)した通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)車両で(展示車両も、1957年に製造された物)、第2次世界大戦後の日本の通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)車両の基礎となった車両の一つです。基本的に、現在の通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)車両と、ほとんど変わりません。
日本国有鉄道は、1958年に、第2次世界大戦後の日本の特急電車(express)車両の基礎となった車両の一つで有る、動力分散方式の特急電車(express)車両、151系電車を登場させます。また、1962年には、151系電車の派生車種、161系電車(151系電車の山岳・豪雪(雪が多い)地帯仕様)がデビュー(debut)します。さらに1965年には、151系電車と161系電車の仕様を統一した、151系電車の派生車種、181系電車がデビュー(debut)しました。
写真以下6枚。181系電車。151系電車(第2次世界大戦後の日本の特急電車(express)車両の基礎となった車両の一つ。1958年にデビュー(debut))の派生車種です(展示車両は、1965年に製造された物)。山岳地帯・雪が多い地帯でも、安定した走行が出来る様になっています。
写真以下2枚。車内。2等(second-class)車(1950年代以前の3等車(third-class)、economy classに相当)の車内です。基本的に、現在の日本の特急電車(express)の普通車(economy class)の車内と、ほとんど変わりません。

当時の車内販売員の姿を再現した人形。
第2次世界大戦後、日本は、戦前の、(イギリスの様な)階級社会から、アメリカの様な大量生産・大量消費の大衆社会へと急速に変化しました。それに伴い、日本国有鉄道の中・長距離旅客用列車の車両の等級は、1960年以降、それまでの、一等(first-class)車、二等(second-class)車、三等(third-class)車の3種類から、基本的に、一等(first-class)車(1950年代以前の二等(second-class)車、business classに相当)と二等(second-class)車(1950年代以前の三等(third-class)車、economy classに相当)の2種類へと整理されました。さらに、1969年以降、日本国有鉄道の中・長距離旅客用列車の車両の等級は、基本的に、グリーン車(green car。business classに相当)と普通車(economy classに相当)の2種類となり、日本国有鉄道の分割民営化後も、その区分は、引き継がれ、現在へと至っています。
日本国有鉄道で使われていた、特急(express)のマーク(mark)。車両は、181系等に替わる、日本国有鉄道の特急(express)の主力車種の一つとして、1972年にデビュー(debut)した183系電車等。
1964年にデビュー(debut)した、日本国有鉄道のバス(bus)の車両の模型です。高速道路(motorway)を走り、名古屋(nagoya)と大阪、神戸(kobe)を結ぶバス(bus)路線で活躍したバス(bus)です。
新幹線は、日本の長距離(都市間)高速鉄道網で、現在約2,200kmが整備されています(現在も追加整備中)。新幹線の計画は、1939年に発案された、弾丸列車計画に、遡ります。これは、最高速度200kmの、高速運転を行う高速鉄道専用の路線を作り、東京と大阪の間(約515kmから約550km)を4時間、東京と下関(日本の南部、九州(kyusyu)地方最大の都市圏で有ると供に、九州(kyusyu)の玄関となっている福岡・北九州都市圏に近い。また、当時、日本国有鉄道は、下関と韓国の釜山との間で、大型の客船を運行していた)の間(約990kmから約1,100km)を9時間で結ぶ事を計画した物で、この計画は、翌年、1940年に承認され、1954年までに開通させる事を目標として、建設が進められていましたが、第二次世界大戦の戦局の悪化により、1943年度をもって、ほとんどの工事が中断されてしまいました(wikiより)。最初の新幹線が開業したのは、1964年の事です。1964年に、最初に開通した新幹線路線は、東京から名古屋、京都等を通り(開業当初の駅は、12駅)、大阪を結ぶ新幹線路線(現在でも、最も重要な新幹線路線)で、当時、世界最高の営業速度の鉄道として、東京と大阪の間、約515kmを、停車駅の少ない、ひかり(hikari)が、3時間10分、停車駅の多い、こだま(kodama)が、4時間で走りました(ひかり(hikari)、こだま(kodama)、それぞれ30分間隔で運行)。その後、運転本数が増加されると供に、高性能の新型車両の投入等により所要時間の短縮が図られ、現在は、東京と大阪の間は、最も運転本数が多く、最も速いnozomiの場合、2時間25分から2時間40分位、新幹線の最重要路線で有る、東京と、名古屋、京都、大阪の間は、ほぼ、大都市の都心部の地下鉄並の頻度で、新幹線が走っています。新幹線は、フランスの長距離(都市間)高速鉄道、TGV(1981年開業)の計画に影響を与え、TGVは、ドイツのICE(1991年開業)等、ヨーロッパ各国の新しい都市間高速鉄道の計画に影響を与えました。
写真以下7枚。新幹線0系電車。1964年にデビュー(debut)した、最初の新幹線車両です。日本最大の都市圏人口を有する都市で有る東京と、日本第2の都市圏人口を有する都市で有る大阪の間(約515km)を、当時、世界最高の営業速度で結びました。また、新幹線には、開業時から、本格的且つ大規模な列車集中制御装置(CTC)や、最先端の自動列車制御装置(ATC)等が取り入れられました。如何にも速そうな弾丸の様な形状で、高速且つ高頻度で、安全に大量の乗客を輸送する電車、新幹線及び、本格的且つ大規模な列車集中制御装置(CTC)(全ての新幹線の動きがリアルタイム(real time)で、一目で分かる表示板。係員は、この表示板を見ながら、駅や運転士に無線連絡をしたり、速度の指示を行ったりする)を備えた、東京駅の新幹線総合指令所の姿は、当時の国内外の人々に、先進的な印象を与えた事でしょう。東京で夏季オリンピック(Summer Olympics)が開催され(元々、1936年にドイツのベルリン(Berlin)で行われた夏季オリンピック(Summer Olympics)に続き、1940年に、東京で夏季オリンピック(Summer Olympics)が開催される事が、決定されていたが、戦争により中止)、新幹線が開業した、1964年は、もはや戦後では無い(第2次世界大戦の荒廃から戦後復興は、終った)と言われた年です。
写真以下2枚。車内の様子。2等(second-class)車(economy class、1950年代以前の3等車(third-class)に相当)の車内です
新幹線200系電車。1982年にデビュー(debut)した豪雪(雪が多い)地帯用の新幹線車両です。雪が多い地帯でも、高速且つ安定した走行が出来る様になっています。

鉄道博物館の屋上。
鉄道博物館は、JR東日本の線路に隣接して建っているので、屋上から、実際に走っている新幹線(東京から北(東北地方及び中部地方北東部)に向かう新幹線)の姿を見る事が出来ます。写真の新幹線車両は、新幹線E1系電車(下の補足説明参照)に続く、全2階建ての新幹線車両として、1997年に登場した、新幹線E4系電車で、200km以上の営業最高速度で運転を行う高速列車の車両としては世界最大classの物です。
新幹線E1系電車:世界初の200km以上の営業最高速度で運転を行う全2階建て列車として、1994年にデビュー(debut)した新幹線車両。ちなみに、一部2階建て車両の新幹線(世界初の200km以上の営業最高速度で運転を行う、2階建て車両組み込んだ列車)の運行は、1985年から行われた。また、世界最初の2階建て車両組み込んだ特急(express)電車(中・高速電車)は、近鉄(大阪、京都、神戸を中心とした、関西(kannsai)大都市圏(東京areaに次ぐ日本第2の人口規模を有する都市圏)の東部を基盤とした私営鉄道会社。日本国有鉄道が分割民営化されて出来た鉄道会社で有るJRを除けば、日本最大の鉄道会社)の1958年にデビュー(debut)した近鉄10000系電車です(この近鉄10000系電車は、日本国有鉄道の151系電車(1958年にデビュー(debut))等と供に、第2次世界大戦後の日本の特急電車(express)車両の基礎となった車両の一つ)。
写真以下2枚。鉄道博物館では、小さな列車の運転を楽しむ事も出来ます(私は、この場所には、行かなく、屋上から眺めただけですが、子供に人気の施設の様です)。


以上、鉄道博物館、終り。
帰りに、新宿のKeioデパートに寄って、駅弁(ekiben)を買って帰りました。東京都心部の西部に有る新宿は、東京有数のbuisiness街であると供に、東京最大級の繁華街となっています。

新宿に有る、Keioデパート新宿本店(写真は、私が撮影した物では無く、借り物です)。1964年の開業以来の建物を、現在も使用し続けています。大衆的な繁華街で有る新宿にあるデパートの中でも、最も、庶民的なデパートです。このデパートは、日本全国の、非常に多くの種類の駅弁(ekiben)(下の補足説明、参照)を販売する催し物(fair)を、1966年以来、毎年行っています(この種の催し物(fair)としては、最大級。現在、開催中(今日までかな?)。今年で45回目)。私は、新宿に近い場所で、生まれ育って、現在も暮らしているのですが(実家が、近所)、この、Keioデパート新宿本店の催し物(fair)、今回、初めて行きました(実家暮らしの頃、親が、この催し物(fair)で、買って来たの物を何度か食べた事は有りましたが。。。)。私は、個人的に混雑や、並んで物を買うのは、あまり好きでは無いので、この催し物(fair)は、何だか、人が多くて、混んでいる印象が有って。。。で、今回、実際に行ってみて、想像していたよりかは、混んでいませんでした。
以下、下の続きへ。。。