今月の初めの日曜日に、三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)美術館で展覧会(exhibition)を見て、ついでに、周辺の丸の内(marunouchi)・日比谷(hibiya)areaを散歩して来た時の物です(順番としては、丸の内(marunouchi)・日比谷(hibiya)areaを散歩した後、三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)美術館で展覧会(exhibition)を見ました。展覧会(exhibition)を見た後も、少し、買い物等をしましたが。。。)。
丸の内(marunouchi)・日比谷(hibiya)areaは、東京の、古くからの、ビジネス(business)の中心地区です。丸の内(marunouchi)・日比谷(hibiya)areaについては、前回の投稿、「丸の内(marunouchi)散歩&食事前編」を参照して下さい。
以下、丸の内(marunouchi)散歩&食事前編からの続き。三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)美術館からです。
前回の投稿でも、アップ(upload)しましたが、1930年代頃の、丸の内(marunouchi)の風景例(昔の彩色絵葉書(白黒写真(monochrome写真)に色を付けた絵葉書)を基に作成された絵葉書より。。。)。写真左上部分に、19世紀末から1910年代初めにかけて、三菱(mitsubishi)財閥(日本最大級の財閥の一つで有った財閥。現在の、三菱(mitsubishi)group(日本最大級の企業グループ(conglomerate)の内の一つ))が建てた、赤い煉瓦作りの、オフィス(office)用の建物群が有りますが、三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)は、その内の一つです(写真、一番左上の交差点の右上の角)。
丸の内(marunouchi)八重洲(ysesu)ビル(1928年の完成直後に撮影された写真)。上の、1930年代頃の、丸の内(marunouchi)の風景例の写真で、左上の、赤い煉瓦作りの、オフィス(office)用の建物群の、(写真で言えば)右下の角に、赤い煉瓦作りの、オフィス(office)用の建物群に囲まれる様な形で建っている(三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan))とも隣接している)、尖塔を有する、オフィス(office)用の近代建築のビルです。1928年に、三菱(mitsubishi)財閥によって建てられました。

日本の旅・鉄道見聞録と言うsite→http://www.uraken.net/rail/index.htmlから借りて来た、ほんの少し古い写真ですが、丸の内(marunouchi)八重洲(ysesu)ビル。丸の内(marunouchi)八重洲(ysesu)ビルは、ほんの少し前まで、現存していましたが、再開発の為、2000年代半ばに、取り壊されてしまいました。尚、この再開発によって、三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)が、復元され、美術館(三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)美術館)として開館しました。言わば、三菱(mitsubishi)は、この再開発において、建築史において、歴史的価値はあるが(第二次世界大戦前(1930年代以前)に、日本に建てられた近代建築のオフィス(office)用ビルの内、現存する物は、東京のみならず、日本全国的にも、少なくなってきています)、歴史的な価値が相対的に低い建物を取り壊して、最新の、現代的なビルに建て替える代わりに、歴史的な価値が相対的に高いが、既に、失われていた建物を、出来るだけ忠実に復元して、新しく建てたと言う訳ですが、個人的には、本当に、それで、良かったのかと、ちょっと微妙な心境です。まあ、丸の内(marunouchi)八重洲(ysesu)ビルの保存と、三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)の復元、両方望むのは、高望みし過ぎでしょうが。。。
三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)美術館のパンフレット(leaflet)より。。。三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)は、丸の内(marunouchi)・日比谷(hibiya)areaの、最も新しい再開発の一つにより、復元されました。写真左上、1894年に建てられた当時の、三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)。三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)(1894年完成)は、三菱(mitsubishi)財閥が、丸の内(marunouchi)に建てた、初めての、西洋式のオフィス(office)用ビルです。当時は、三菱(mitsubishi)の銀行が入っていた他、貸し事務所となっていました。尚、この、三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)の元々の建物は、現代建築のオフィス(office)用ビル(上の、ほんの少し古い、丸の内(marunouchi)八重洲(ysesu)ビルの写真で、丸の内(marunouchi)八重洲(ysesu)ビルの左隣りにあるビルかな。。)に建て替える為に、1960年代に取り壊されてしまいました。写真右上、新しい再開発により、復元された、三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)(三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)の建物を取り壊し、建て替えた、現代建築のオフィス(office)用ビルを、新しい再開発により、取り壊し、三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)を、出来るだけ忠実に復元し、新しく建てた物)。写真下の左から。。1番目、1960年代に撮影された、2階南側廊下。。建てられた時から、やや改装が加えられていると思います。2番目、三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)の銀行営業室(19世紀末から1910年代初め頃撮影された物)。3番目、復元された三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)の、2階南側廊下。。建てられた当時の姿に、出来るだけ近い姿に、復元された物と思われます。4番目、復元された、銀行営業室は、美術館のカフェ(cafe)となっています。
三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)美術館のパンフレット(leaflet)の説明文によれば、三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)の復元に際しては、元々の設計図や、解体時の実測図を、詳しく調べると共に、各種文献、写真、保存部材等に関する、詳細な調査が実施されたそうです。また、階段部の手すりの石材等、保存されていた部材を、一部建物内部に再利用した他、意匠(細かい装飾・細かいデザイン(design))や部材だけでなく、その製造方法や建築技術まで忠実に再現するなど、様々な、実験的な取り組みが、行われたそうです。
写真以下10枚。三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)美術館。
写真以下8枚。復元された、三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)。三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)は、元々は、オフィス(office)用のビルですが、復元された、三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)は、オフィス(office)用のビルではなく、三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)美術館と言う、美術館になっています。
中庭。
写真左側、cafe。このcafeのランチプレート(下の補足説明参考照)は、個人的に、中々、美味しいと思います。写真右側、store。
ランチプレート:レストランやcafeで提供される、簡易な昼食の一つ。一つの大き目の皿に、量が控え目の、2から4種類位の、前菜・主菜(main)等が載っている。
三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)美術館は、一応、収蔵品(collection)を有していますが(特に、ロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec)の作品を多く保有している事から、フランスのロートレック美術館(Musee Toulouse-Lautrec)と姉妹館提携を結んでいる)、基本的に、企画展示(exhibition)中心の美術館の様です。
写真以下2枚。この時、三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)美術館で見て来た、展覧会(exhibition)のチラシ(leaflet)。

この時は、現在、三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)美術館で行われている、ヴィジュ・ルブラン(Vigee Le Brun)の作品を中心とした、展覧会(exhibition)を見て来ました。三菱(mitsubishi)一号館(ichigou kan)美術館は、cafeは、2回程利用した事がありましたが、展示を見た(本格的に館内に入った)のは、今回が、初めてでした。

ヴィジュ・ルブラン(Vigee Le Brun)は、マリー・アントワネット(Marie Antoinette)に、肖像画家として、重用された、フランスの女性画家です。以下、この展覧会(exhibition)の説明文は、ほぼ、展覧会(exhibition)のチラシ(leaflet)の説明文より。。。ヴィジュ・ルブラン(Vigee Le Brun)は、その卓越した技量や作品数の多さにも関わらず、回顧展(その作品を集めた本格的な展覧会(exhibition))は、祖国のフランスでさえ、実現された事がなく、かつて、一度だけ、アメリカで開催されたのみでした。この展覧会(exhibition)は、日本で初めて(世界では2番目の?)、本格的な、ヴィジュ・ルブラン(Vigee Le Brun)の作品の展覧会(exhibition)です。また、同時に、ヴィジュ・ルブラン(Vigee Le Brun)のライバル(rival)であり、対照的な運命をたどった、ラビーユ・ギアール(Labille-Guiard)を始め、18世紀フランスで、華々しく活躍した女性画家達の作品を、広く概観する展覧会(exhibition)です。この展覧会(exhibition)を見た、個人的な感想は。。。率直に言って、やや退屈でした。。。w。
写真以下、この日の夕食等。
写真以下4枚。私の街に、割と最近、オープン(open)した、イタリア料理レストランで食べた、この日の夕食。このレストランは、オープン(open)以来、ちょっと気になっていた、レストランですが、この時、初めて利用しました。このレストランは、私の街(渋谷(shibuya)区中北部)の西の隣街(世田谷(setagaya)区北東端area)の下北沢(shimokitazawa)で、長い間、違う名前で営業していましたが(私は、若い頃、下北沢(shimokitazawa)に、よく遊びに行きましたが、その店は、知りませんでした)、私の街に、移転して来たレストランの様です。
小さな前菜(二人分)。生ham、魚の燻製、大根、小海老の揚げ物。
メイン(main)料理。一人一皿ずつ。牛肉(黒毛和牛肉(高級な肉とされる)ですが、黒毛和牛肉でも、それ程、高い物は使っていないと思います)の、薄切り。二人共、同じ物を食べました(この時は、二人共、肉を、食べたい気分で、黒板に書かれた、その日のメニュー(menu)の中で、同じ物が目に付いた)。
私が、主に食べた、渡り蟹のパスタ(pasta)。美味しかったです(彼女が主に食べた、春野菜と蛤のパスタ(pasta)よりも、美味しかった)。
彼女が、主に食べた、春野菜と蛤のパスタ(pasta)。
このレストランは、個人的に、渡り蟹のパスタ(pasta)は、美味しいと思ったのですが、私も彼女も、全般的に、料理は、今一つの内容と味と言った印象で(それ故、デザート(dessert)は、あまり期待出来そうになかったので、頼まなかった)、このままでは、もう利用する事はないかな。。。
ちなみに、このイタリア料理レストランがオープン(open)した場所は、割と最近、残念ながら閉店してしまった、手頃な値段のフランス料理レストラン(個人的に、私の街の、お気に入りのフランス料理レストランの一つで、よく利用していたフランス料理レストラン)があった場所です。そのフランス料理レストランが、閉店してしまったのは、非常に残念ですが、一方で、私の街に、割と最近オープン(open)した、手頃な値段のフランス料理レストランで、既に、お気に入りとなって、よく利用している店があり、まあ、消え行く物もあれば、誕生する物もありと言った感じで、色々と言った感じです。。。
写真以下2枚。この日、我が家に帰って来て、食べた、デザート(dessert)。
前述した、割と最近閉店した、お気に入りのフランス料理レストランが経営する(その、フランス料理レストランは、既に閉店してしまっているので、この言い方は、変かな。。。w。まあ、その閉店した、フランス料理レストランと経営者が同じの。。。)、私の街の、小じんまりとした惣菜店(delicatessen)の、プリン(pudding、cream caramel)。
この時、我が家にあった、蜜柑色々(蜜柑の名前は、忘れた。。。w)。プリン(pudding、cream caramel)よりも先に、蜜柑を食べました(より甘い物を、後に食べた方が、良いので。。。)。