先月(11月)、個人的に休みだった日に、東京の西部近郊の御岳(mitake)山に、日帰りで、遊びに行って来た時の物です。御岳(mitake)山は、東京の都心部から日帰りで行ける、東京近郊の気軽なハイキング(hiking)場所・保養場所として、人気の山の一つです(ただし、東京都心部から日帰りで、行って、ハイキング(hiking)して、帰って来るには、朝早く、起きる必要がある)。この日は、電車(通勤電車(韓国式に言えば地下鉄))を利用し、前日、早目に寝て、当日、かなり早起きをし、始発電車と言う程ではありませんが、かなり、朝早い、電車(通勤電車(韓国式に言えば地下鉄))で出発しました(朝食は、家で、パン等で、済ませました)。
写真以下43枚。到着して、まず、御岳(mitake)山周辺の、鳩ノ巣(hatonosu)渓谷を散歩(軽くハイキング(hiking))しました。鳩ノ巣(hatonosu)渓谷も、やはり、東京の都心部から日帰りで行ける、東京近郊の気軽なハイキング(hiking)場所です。





















鳩ノ巣(hatonosu)渓谷の最寄り駅、鳩ノ巣(hatonosu)駅。御岳(mitake)山や鳩ノ巣(hatonosu)渓谷がある辺りは、(上手く説明出来ませんが)、東京の西の郊外・近郊における、通勤型電車(韓国式に言えば地下鉄)が走る、遠い限界と言ったエリア(area)の一つで、この辺りまで来ると、沿線(線路周辺)の風景は、郊外と言うよりも、完全に、田舎と言った感じになり、駅の雰囲気も、山の間を縫って走り、山村と山村の間を結ぶ、田舎の路線の駅と言った雰囲気になります(走っている(電車の)車両は、東京都心部や郊外住宅地を走っている物と変わらない、通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)の車両なのですが。。)。
写真以下3枚。御嶽(mitake)駅(御岳(mitaka)山の最寄り駅)へ向かう電車を待つ間、鳩ノ巣(hatonosu)駅周辺を、少し散歩(この辺りまで来ると、電車は、30分に1本程となります)。駅周辺も、東京都心部に通勤する人々が暮らす郊外住宅地と言った感じでは全くなく、田舎の山奥の、村(集落)と言った感じです。
現在は使われていない(おそらく。。。)、1910年代から1930年代頃に建てられたと思われる、日本伝統式の、一戸建て住宅。
1910年代から1930年代頃に建てられたと思われる、古い趣のある建物。元々、どの様な用途で建てられた建物か分かりませんが(一見、商店の様にも見えますが、個人的には、村(集落)の、診療所(小さな病院)として建てられた建物の様な感じもします。全く、いい加減な推測ですが。。。w)、現在は、地域の人々が、集会(会議)等、様々な用途に使っている、小さな公共的な建物と言う感じです。。。
写真以下、御岳(mitaka)山。御岳(mitake)山は、古くから山岳信仰(山に宗教的意味を与え、崇拝したり儀礼を行なったりする事)の対象となっている山で、山の上には、御嶽(mitake)神社(shrine)が有り、古くから、参拝者を集めて来ました。もっとも、現在は、全般的に、参拝よりも、ハイキング(hiking)・保養を主目的で訪れる人々の方が、多いと思います(古くから、多くの参拝者を受け入れて来た故に、山道等、訪れる人々の為の、基礎的な観光インフラ(infrastructure)が、比較的古くから整備され、その事から、近代・現代(特に第2次世界大戦後の高度経済成長期(1950年代から1960年代)以降)において、庶民の間で、(それまでの参拝場所としてだけでなく)、ハイキング(hiking)・保養場所としても、人気を集める様になったと言う面も有ると思います)。
写真以下3枚(内、写真以下2枚は、前に、kjで、アップ(upload)した写真の再利用)。御岳(mitake)山ケーブルカー(funicular)。1934年に開業しましたが、第2次世界大戦中の1944年に、(戦況の悪化により、戦時中には必要の無い路線として)、政府により、運行休止の命令が下されました。運行が再開されたのは、1951年(第2次世界大戦直後の混乱と大衆の貧困が、ようやく収まって来て、間も無くの頃)の事です。それ以来、日本の高度経済成長に伴い、多くの、東京areaに暮らす人々の、休日・週末ハイキング(hiking)客を運んで来ました。
御岳(mitake)山のみのハイキング(hiking)だったら、ケーブルカー(funicular)で、山の上まで登ってしまえば、山の上の、あまり、登り下りが激しくない、楽な道を歩くだけと言った感じで、山なのに、あまり登山と言う感じがしません。したがって、御岳(mitake)山のハイキング(hiking)は、至って気軽なハイキング(hiking)であると言えるでしょう。
御岳(mitake)山の、山の上には、御嶽(mitake)神社(shrine)、御嶽(mitake)神社(shrine)で、代々、神職(shinsyoku。神に奉仕し儀式等を行う者)として働く人々(下の補足説明参照)の家、御嶽(mitake)神社(shrine)に参拝する人々の為の宿坊(syukubou。寺又は神社(shrine)に参拝する人々の為の宿泊施設)、参拝者(観光客)向けの売店や食堂等の有る、小さな集落(村)が有ります。御岳(mitake)山の、山の上の集落(村)までは、自動車で登る事が可能ですが、御岳(mitake)山の、山の上の集落(村)まで自動車で登る事は、(御岳(mitake)山の、山の上の集落(村)の住人を中心とした)一部の人々のみに制限され、一般人(ハイキング客(hiker)、参拝者、観光客等)は、山の上の集落(村)まで自動車で登る事は、禁止されています(したがって、一般人は、ケーブルカー(funicular)を利用するか、歩いて登る事になります)。尚、上で、紹介した、御岳(mitake)山ケーブルカーfunicular)は、山の上の集落(村)で暮らす人々(御嶽(mitake)神社(shrine)で、神職(shinsyoku)として働く人々)の子供達の通学手段としても活躍している様です(山の上の集落(村)には、学校がない(おそらく。。)為。。)。
御嶽(mitake)神社(shrine)で、代々、神職(shinsyoku)として働く人々:中小規模の寺の多くが、基本的に、お坊さん(僧侶)は、一人(その寺のお坊さん(僧侶)=その寺の住職(寺を管理する僧侶))である事と同様、中小規模の神道の神社(shrine)の多くが、基本的に、神職(shinsyoku。神に奉仕し儀式等を行う者)は、一人(その神社(shrine)の神職(shinsyoku)=その神社(shrine)の神主(kannushi。その神社(shrine)を管理する神職(shinsyoku))だと思いますが(尚、巫女(miko。神職(shinsyoku)を補佐する女性)は、他にいます)、(規模の大きな寺の場合、複数の僧侶が、勤めている場合がある事と同様)、規模の大きな神道の神社(shrine)の場合、複数の神職(shinsyoku)が勤めている場合が有ります。御嶽(mitake)神社(shrine)も、その一つです。
御岳(mitake)山の、山の上の集落(村)に有る住宅の建物の中で、一番立派な建物なので、おそらく、御嶽(mitake)神社(shrine)の神主(kannushi。その神社(shrine)の神職(shinsyoku。神に奉仕し儀式等を行う者)の長(leader))の家だと思われます。。。現在の建物は、1910年代から1930年代頃建てられた物かな。。。
写真以下2枚(写真以下2枚は、同じ住宅の建物)。御嶽(mitake)神社(shrine)の神職(shinsyoku。神に奉仕し儀式等を行う者)の住宅の一つ。御岳(mitake)山の、山の上の集落(村)の建物は、時代に合わせて、建て替えられて来ましたが、この住宅の建物は、御岳(mitake)山の、山の上の集落(村)の、現在の住宅の建物の中で、建物の古さ、建物に改装が加えられている度合い(建物に改装が加えられている度合いの低さ)等の総合面において、おそらく最も歴史的価値の高い建物です。1866年に建てられた物で、文化財に指定されており、これから、建て替えられたり、大きく改装される様な事はないでしょう。
御嶽(mitake)神社(shrine)の神職(shinsyoku。神に奉仕し儀式等を行う者)の、ほとんどが、(御岳(mitake)山の、山の上の集落(村)に有る)、御嶽(mitake)神社(shrine)に参拝する人々の為の宿坊(syukubou。寺又は神社(shrine)に参拝する人々の為の宿泊施設)の経営者も兼ねています(また、御岳(mitake)山の、山の上の集落(村)に有る、宿坊(syukubou)の、ほとんどは、御嶽(mitake)神社(shrine)の神職(shinsyoku)が、経営していると言った感じです)。御岳(mitake)山の、山の上の集落(村)に有る、宿坊(syukubou)は、現在は、御嶽(mitake)神社(shrine)の参拝者だけでなく、多くのハイキング客(hiker)や、保養客も利用しており、その多くは、実体は、民宿(下の補足説明参照)と言った感じになっている様です。
民宿:旅館よりも、簡易な宿泊施設で、一般的に、旅館よりも、規模が小さく、風呂等の施設が簡素で、宿泊料金が安い。海沿いや、離島に多く、一般的に家族経営で有り、副業で営んでいる場合も多い(海沿いや、離島で、漁師の家庭が、民宿も営んでいる場合が、多いかな。。。)。庶民的な宿泊施設だが、料理は、料理の質の低い旅館よりも、むしろ良い場合も有る。
御岳(mitake)山の、山の上の集落(村)にある、江戸(edo)時代(1603年から1868年)からの歴史を有する宿坊(syukubou)の一つ。現在の建物は、広く推定して、19世紀末から1920年代頃建てられた物だと思われますが、時代と供に、大幅な改装が施されている様です。

これは、この時に食べた物ではなく、前にkjでアップ(upload)した写真ですが、御岳(mitake)山の、山の上の集落(村)で、個人的に、お気に入りの民宿(宿坊(syukubou))の、得意料理の一つで、栗の形を模した料理。棘の部分は、茶蕎麦で、中身は、栗、魚、海老等の練り物になっています。見た目も楽しく、とても美味しいです。
写真以下21枚。御嶽(mitake)神社(shrine)。創建は、紀元前91年と言われる、非常に歴史の古い神道の神社(shrine)です(ただし、建物は、時代に合わせて、建て替えられています)。中世以降、東日本の山岳信仰(山に宗教的意味を与え、崇拝したり儀礼を行なったりする事)の霊場(聖地)の一つとして、発展し(wikiを参考にしました)、特に、江戸(edo)時代(17世紀)以降、東京(当時は、江戸(edo)と呼ばれていた)が、大都市として発展すると供に、多くの参拝者を集める様になりました。
写真以下15枚。御嶽(mitake)神社(shrine)の建物の中から、幾つか。。。
写真以下7枚。拝殿(haiden)(神を拝む為の建物で、本殿(honden)と共に、神道の神社(shrine)のメイン(main)の建物を構成する)。現在の、御嶽(mitake)神社(shrine)の拝殿(haiden)の建物は、1700年に建て替えられた物で、近代を含めて、何度か改修(改装)されている様です。
写真以下3枚。本殿(honden)(神を祀る建物(神霊を宿した神体を安置する建物。wikiより)で、拝殿(haiden)と共に、神道の神社(shrine)のメイン(main)の建物を構成する)。現在の、御嶽(mitake)神社(shrine)の本殿(honden)の建物は、1877年に建てられた物です。
写真の手前、本殿(honden)。写真の奥、拝殿(haiden)。
写真以下2枚。定期的に色が塗り替えられているので(おそらく。。。)、それ程、古くは見えませんが、この建物は、1511年に建てられた物で、御嶽(mitake)神社(shrine)の、先代の本殿(honden)の建物です(1877年に、現在の本殿(honden)の建物が建てられた際に、移築されました)。

写真以下2枚。犬の神様を祀る建物です。この建物は、いつ建てられたのかは、私が、極簡単に調べられる範囲では、分かりませんでした。
山の上の、見晴らし(景色)の良い場所(山の上の集落(村)からは、ほんの少し離れている)の売店で買って飲んだ、ホットワイン(暖かいワイン。mulled wine)。ティーバッグ(tea bag)の様な物は、ホットワイン(mulled wine)用のスパイス(spice)です。この売店の店主は、マスターソムリエ(Master Sommelier)の資格を持っているらしいです。この売店では、ワイン(wine)を、ボトル(bottle)でも売っていて、山の景色を見ながら、ボトル(bottle)でワイン(wine)を飲むのも、中々、いいものだと思います(ただし、屋外で、景色を見ながら飲んだ後、そのまま、ケーブルカー(funicular)で下山して帰るだけならば。。。気軽なハイキング(hiking)だからと言って、酒に酔って、足がふらつきながら、山道を歩くのは、言語道断ですが、そうでなくても、ある程度酔って、山道を歩くのも危険だと思いますw。まあ、後も、ハイキング(hiking)や登山が控えているならば、軽く一杯位が、無難でしょう。。。)。
この日の昼食は、朝出る時に、コンビニで買った弁当(写真は、省略)を、山の上の屋外で、景色を見ながら食べました。
御岳(mitake)山散歩&食べ物後編へ続く。。。