写真以下13枚は、まず、前回の投稿、「温泉小旅行&食べ物後編」からの続きです。
箱根(hakone)の、星の王子様(The Little Prince・Le Petit Prince)ミュージアム(museum)を訪れた後は、前から、ちょっと気になっていて、一度利用して見たいと思っていた、小田原(odawara)の、日本料理食堂で、夕食を食べてから、帰りました。
小田原(odawara)は、神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県)の南西部にある中都市で、城下町(歴史的に、地方領主の城(castle)を中心に発展した都市(町))であり、また、箱根(hakone)(東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地)の観光の拠点ともなっている中都市です。
この、小田原(odawara)の、日本料理食堂は、1893年創業の日本料理食堂で、現在の建物は、1926年に建てられた、2代目の建物です(立派な、近代、日本伝統建築の建物です)。
写真以下8枚。この食堂の建物。
写真以下2枚は、この食堂のパンフレット(leaflet)より。。。

写真以下4枚。この食堂の内装例。
この食堂のパンフレット(leaflet)より。。。
この食堂で食べた、この日(この温泉旅行時の2日目)の夕食。天丼(天麩羅丼)。この店では、天麩羅を揚げる油には、胡麻油を100%使用しています。これに、味噌汁(miso soup)、漬物等が付きます。二人共、同じ物を食べました(写真は、一人分)。味は、まあ、普通と言った感じかな。。。(普通よりも、少し落ちるかも。。。)。
この日本料理食堂、従業員の、サービス(service)の感じも、それ程、良くなかったですし、まあ、趣のある、建てられてから90年弱程の建物のみが、唯一の魅力と言った感じでした。歴史と建物により、ある程度は、客が来ると思いますが、それだけに満足していないで、料理等、もう少し、魅力向上為の努力が必要ではないかと思いました。個人的には、一度利用すれば、納得(満足)と言った感じで、もう利用する事はないかなと思います。
温泉小旅行&食べ物、終わり。。。
以下、適当に食べ物。投稿の本文。
日々の食事の中から、適当に。。。
写真以下34枚。先週の土曜日の夕食に関する投稿。先週の水曜日から土曜日にかけて、愛媛(ehime)県(四国(shikoku)の、4つの県の内の一つ)を旅行して来たのですが(もっとも、初日は、東京の羽田(haneda)空港初、松山(matsuyama)空港行きの最終便(夜に、東京の羽田(haneda)空港初の便)で行ったので、現地では、ほとんど寝るだけ、最終日(先週の土曜日)は、早目の便(昼に、松山(matsuyama)空港出発の便)で帰って来たので、実質、ちゃんと観光したのは、中、二日のみです)、先週の土曜日の夕食は、ほとんど、この時の旅行時に、愛媛(ehime)県で買って来た物で済ませました。
四国(shikoku)は、日本列島の中で、本州(honsyu。朝鮮半島よりも若干広く、北アイルランドを除くイギリスと、ほぼ同じ位の広さ。)、北海道(hokkaido。スイス、オランダの1.9倍、デンマークの1.8倍、オーストリアの90%、韓国の80%位の広さ)、九州(kyusyu。ベルギーの1.2倍、台湾と、ほぼ同じ、スイス、オランダの90%位の広さ)に次ぐ、4番目に大きな島で、面積は、韓国の道(do)の中で、一番広い、慶尚北道(Gyeongsangbuk-do)と、2番目に広い、江原道(Gangwon-do)の間位の大きさです(江原道(Gangwon-do)よりも、若干大きく、慶尚北道(Gyeongsangbuk-do)よりも若干小さい)。日本の47の都道府県の内、4県(香川(kagawa)県、愛媛(ehime)県、高知(kouchi)県、徳島(tokushima)県)が、四国(shikoku)に位置しています。
今回、私達が旅行した、愛媛(ehime)県は、四国(shikoku)の西北部に位置する県です。四国(shikoku)本土を旅行したのは、今回で2回目でした。前回、四国(shikoku)を旅行した時は、(楽しかったですが)、限られた日数で、広い範囲を廻ろうとした為、何だか、自動車(レンタカー(rent-a-car))の運転ばかりしていたと言う、印象もあったので、今回は、旅行の範囲及び、訪れる観光場所を限定し、落ち着いた旅行にしようと思いました。なお、この旅行は、投稿するつもりはなく、投稿する事を頭に入れて(前提として)、写真を撮った訳ではないので、写真(特に、景色だけや、食べ物の写真は)、あまり撮りませんでした。四国(shikoku)は、いつか(老後にでも)、自動車(飛行機で行って、現地で、レンタカー(rent-a-car)を利用するのではなく、自家用車で、東京から、のんびり行っても良いかも。。。)で、2週間位かけて、ゆっくり廻る旅行をしたいなと思っています。
今回、東京との行き帰りは、日本航空(JAL。日本の2大航空会社の一つ)の飛行機を利用しました。今回、初日(1泊目)は、ほとんど、到着して寝るだけであったので、松山(matsuyama)駅の近くのホテルに宿泊し、2泊目と3泊目は、道後(dogo)温泉(下の補足説明参照)の、温泉旅館に宿泊しました。なお、2日目以降は、小型自動車のレンタカーを借りました(レンタカー会社(car rental company)から、小型自動車を借りました)。
道後(dogo)温泉:松山(matsuyama)(四国(shikoku)の北西部(愛媛(ehime)県の中部)に位置する中都市。愛媛(ehime)県で、最大の人口を有する都市であると共に、愛媛(ehime)県の中心都市。四国(shikoku)最大級の人口を有する都市であると共に、四国(shikoku)の中心都市の一つでもある)にある、温泉地。道後(dogo)温泉は、日本で最も古い歴史を有する温泉地の内の一つで、遺物等から、縄文(jomon)時代からの、およそ3000年もの歴史を有すると言われています(日本の神話にも登場しています)。
道後(dogo)温泉は、今回、初めて訪れました。今回、訪れた、主な、観光地は、道後(dogo)温泉本館(下の説明参照)(今回、2回利用しました)、松山(matsuyama)城(castle)跡、今治(imabari)城(castle)跡、宇和島(uwajima)城(castle)跡です。何れも、愛媛(ehime)県内に位置し、今回、初めて、訪れました。ちなみに、前回、四国(shikoku)を旅行した際は、城(castle)は、高知(kouchi)県の、高知(kouchi)城(castle)跡を訪れ、また、愛媛(ehime)県の観光地は、内子(uchiko)(四国(shikoku)で、古い街並が残されている町の一つで、四国(shikoku)の主要な観光場所の一つとなっている)等を、訪れました。
写真以下6枚。道後(dogo)温泉本館のパンフレット(leaflet)より。。。道後(dogo)温泉本館は、道後(dogo)温泉にある温泉施設(公衆温泉浴場)の一つです。その建物は、道後(dogo)温泉を象徴する建物となっています。
1635年に、伊予(iyo)松山(matsuyama)藩(現在の、松山(matsuyama)市を中心とする地域)の領主となった、地方領主、松平 定行(matsudaira sadayuki)は、その翌年、道後(dogo)温泉の施設充実に着手し、温泉の浴槽を、士族(侍(samurai)階級)と僧侶用、女性用、庶民の男用に分け、この他に、病気療養用(湯治用)の浴槽を含む、幾つかの浴槽を設け、その下に、馬湯(馬用の温泉)を設けました。
江戸(edo)時代後期(18世紀前半頃かな。。。)の、道後(dogo)温泉。

道後(dogo)温泉本館の建物。現在の道後(dogo)温泉本館の建物は、1894年に建てられた物で、老朽化した、道後(dogo)温泉の公衆温泉浴場の建物を建て替える際に、後世まで誇れる物を造ろうと建てられた、近代、日本伝統建築の建物となっています。
写真以下3枚。道後(dogo)温泉本館の、温泉風呂の例。道後(dogo)温泉本館の、温泉風呂は、男女別の共同風呂となっていて、男用の温泉風呂が3つ、女用の温泉風呂が、二つあります。
写真以下8枚。松山(matsuyama)城(castle)跡。以下、松山(matsuyama)城(castle)に関する説明は、wiki等を参考にしました。松山(matsuyama)城(castle)跡は、松山(matsuyama)市の中心部の山に位置する、封建制時代の城(castle)の跡で、松山(matsuyama)城(castle)の跡です。松山(matsuyama)城(castle)は、現在の、松山(matsuyama)市を中心とする地域を統治していた、地方領主の城(castle)で、その歴史は、1603年まで遡ります。敷地面積は、地図から推測すると、20万坪(約660,000平方m)程あったのではないかと思われます。
封建制時代には、日本全国には、たくさんの地方領主の城(castle)が有りました。しかしながら、明治(meiji)時代(1868年から1912年)に入ると、出来るだけ効率良く、迅速に、日本を近代的な国家にする事を目指す、新中央政府にとっては、(無駄に多い、維持費のかかる、前近代的な建物が、広大な敷地内に建っている)封建時代の象徴的な建物で有る、城(castle)は、必要の無い物(無用の長物)となります。これによって、19世紀末に、日本全国の、多くの城(castle)の、ほとんどの建物が取り壊され、かつての地方領主達の城(castle)の敷地は、他の用途の土地に転用されました(もっとも、地方領主としての地位を失うと供に、封建制時代の城(castle)等を失ったものの、多くの地方領主達は、貴族階級に組み入れられ、近代社会(19世紀末から第2次世界大戦後、間も無くまで)においても、日本の上流階級としての地位と富は、維持しました。
松山(matsuyama)城(castle)も例外ではなく、19世紀後期に、城(castle)が廃止となり、山の麓の、御殿(領主の邸宅の建物)等、領主の居住部分等の建物が取り壊されましたが、例外的に、山の上の、天守閣(tensyukaku)(城(castle)の建物の内、城(castle)の権威を象徴する建物)を中心とした建物群は、取り壊しを免れました。1935年には、天守閣(tensyukaku)等、当時、現存していた、松山(matsuyama)城(castle)の35の建造物が、国宝に指定されました。しかしながら、第二次世界大戦末期の空襲により、11の建造物が、焼失しました(それ等建物は、国宝指定作業における正確な図面等が残されていたことから、現在、木造により、本格的に、復元されています)。
絵葉書より。。。松山(matsuyama)城(castle)の、現存する、天守閣(tensyukaku)(城(castle)の建物の内、城(castle)の権威を象徴する建物)。現存する、松山(matsuyama)城(castle)の天守閣(tensyukaku)の建物は、先代の天守閣(tensyukaku)が、1784年に落雷で焼失した後、1854年に再建された物です(したがって、(日本の)近代よりも前に建てられた建物ですが、とても古いと言う程ではありません)。
写真以下7枚は、この旅行時に、私が撮影した写真。
写真以下2枚。松山(matsuyama)城(castle)の天守閣(tensyukaku)から眺めた、松山(matsuyama)の中心部の風景。
写真以下8枚。この旅行時に撮った写真の中から、幾つか。。。
写真以下3枚。今治(imabari)城(castle)跡。今治(imabari)城(castle)跡は、愛媛(ehime)県の今治(imabari)市(松山(matsuyama)市の北東部に隣接する中都市。今治(imabari)城(castle)の城下町(歴史的に、地方領主の城(castle)を中心に発展した都市(町)))にある、今治(imabari)城(castle)の跡です。今治(imabari)城(castle)は、今治(imabari)及び、その周辺の島々等を統治していた、地方領主の城(castle)で、17世紀初めに建設されました。今治(imabari)城(castle)の堀(moat)には、海水が引き入れられ(当時は、海から、今治(imabari)城(castle)の堀(moat)まで、船で、直接入る事が出来た様です)、現在も、今治(imabari)城(castle)跡の堀(moat)には、海水魚が泳いでいる様です。今治(imabari)城(castle)は、19世後期に城(castle)が廃止され、広大な敷地に、多くあった建物は、取り壊されました。現在は、かつての敷地の一部(及び、石垣(stone wall)と堀(moat)の一部)が残り、また、建物の、一部が復元されています。
写真以下2枚。今治(imabari)城(castle)跡から眺めた、今治(imabari)の市街地と海。
写真以下3枚。宇和島(uwajima)城(castle)跡。宇和島(uwajima)城(castle)跡は、愛媛(ehime)県の宇和島(uwajima)(愛媛(ehime)県の西南部(四国(shikoku)の西端部)に位置する小都市)にある、宇和島(uwajima)城(castle)の跡です。宇和島(uwajima)城(castle)は、現在の宇和島(uwajima)市周辺を統治していた地方領主の城(castle)です。宇和島(uwajima)城(castle)は、その歴史(起源)は、941年まで遡りますが、現存するのは、1601年に改修され整えられた形の中心部分です。宇和島(uwajima)城(castle)は、1871年に、城(castle)が廃止され、天守閣(tensyukaku)(城(castle)の建物の内、城(castle)の権威を象徴する建物)を除き、多くあった城(castle)の建物の、ほとんど全てが、取り壊されてしまいました。宇和島(uwajima)城(castle)の敷地は、約280,000平方m(約84,700坪)ありましたが、現在は、中心部分の、約100,000平方m(約30,000坪)が残り、宇和島(uwajima)城(castle)跡として、国の史跡に指定されています。ちなみに、1614年から19世紀半ばまで、宇和島(uwajima)城(castle)の城主(城(castle)の所有者・居住者)であった(現在の宇和島(uwajima)市周辺を統治していた)、地方領主の家である、宇和島(uwajima)伊達(date)家の、江戸(edo)(現在の東京)の邸宅(別邸・別荘)の内、当主と、その妻子用の上屋敷は、現在の、国立新美術館付近にあり、敷地面積、約32,700坪(約108,000平方m)、隠居した先代の当主と、その妻用の下屋敷は、現在の、渋谷(shibuya)区の恵比寿(ebisu)(恵比寿(ebisu) garden place付近)にあり、敷地面積、約11,000坪(約36,000平方m)ありました。宇和島(uwajima)伊達(date)家は、近代日本において、貴族階級に組み入れられ、日本の上流階級としての、地位と富は、維持しました。
写真以下2枚。宇和島(uwajima)城(castle)跡に現存する、宇和島(uwajima)城(castle)の天守閣(tensyukaku)(城(castle)の建物の内、城(castle)の権威を象徴する建物)。現存する、宇和島(uwajima)城(castle)の天守閣(tensyukaku)の建物は、1666年頃に建て替えられた物です。天守閣(tensyukaku)としては、規模が小さな物です。
宇和島(uwajima)城(castle)跡からの眺め。
写真以下2枚。宇和島(uwajima)にて。。。
段々畑には、ジャガイモ(potato)が植えられています。段々畑の開拓は、300年以上前に始まったとも言われています。昔は、サツマイモ(sweet potato)が植えられていました。
写真以下12枚。先週の土曜日(以下、この日と書きます)の夕食(二人分)。全て、この時の旅行時に、愛媛(ehime)県で買って来た物です。前述の通り、先週の土曜日の夕食は、ほとんど、この時の旅行時に、愛媛(ehime)県で買って来た物で済ませました。この他、野菜サラダ(salad)等を食べました。
メイン(main)の、おかず。鯖の焼き物。帰りに、松山(matsuyama)空港(下の補足説明参照)で買った物です。美味しかったです。(夕食時に)食べ切れなかった分は、翌日の朝食の一部として食べました。
松山(matsuyama)空港:松山(matsuyama)のみならず、愛媛(ehime)県の空の玄関口(gateway)となっている空港。四国(shikoku)には、東京等との間の、直行便が発着する、主要な空港が、松山(matsuyama)空港を含み、4つありますが(各県に一つずつ)、その中で、最大の利用者数を誇る空港です。東京の羽田(haneda)空港との間の直行便(ちなみに、東京の羽田(haneda)空港と松山((matsuyama)空港の間の距離は、705km)は、一日12便程、出ています。国際線は、近隣の国との間のみで、韓国のソウルとの間で、週3便、中国の上海との間で、週4便出ています。

鯛めし(鯛(魚)の、ご飯(rice))。鯛めし(鯛(魚)の、ご飯(rice))は、愛媛(ehime)県の料理です。
牛肉、しぐれ煮。
肉じゃが(肉、ジャガイモ(potato))。肉じゃが(肉、ジャガイモ(potato))は、日本の家庭料理の一つです。
写真以下2枚。魚の練り物。写真の魚の練り物は、全部、この日の夕食で食べた訳ではなく、翌日の朝食の一部としても、食べました。
じゃこ天(jyakoten)。じゃこ天(jyakoten)は、魚の練り物食品の一種で、愛媛(ehime)県の郷土食品で、愛媛(ehime)県で、よく食べられています。
写真以下6枚。デザート(dessert)。
写真以下2枚の果物は、これ全部を、一度に(この日の夕食で)食べた訳ではありません。

愛媛(ehime)県産の、紅ほっぺ(紅(beni)hoppe)と言う品種の苺。
愛媛(ehime)県産の、様々な蜜柑。旅行中に食べようと思って、現地で、買った、(現地で、安く売られていた)蜜柑の余りです。愛媛(ehime)県は、日本最大級の蜜柑の産地となっています。今回、東京の我が家で食べる為の蜜柑を、買って来ようかなとも思ったのですが(写真の物は、前述の通り、旅行中に、現地で食べようと思って買った蜜柑の内の、現地で、食べ切れなかった余りです)、自動車での旅行ではなかったので(現地では、レンタカーを借りたが(レンタカー会社(car rental company)から、自動車を借りたが)、東京と現地の間の、行き帰りは、飛行機)、重たくて、かさばるので、やめました。ただし、愛媛(ehime)県産の檸檬(lemon)は、買って来ました。愛媛(ehime)県は、檸檬(lemon)の主要な産地の一つともなっています。
一個食べてしまっていましたが、饅頭。中に甘い餡(小豆餡)が入っています。日本では、饅頭は、中に甘い餡(小豆餡が、最も一般的)が入った、和菓子(日本伝統菓子)の一種の事を言います(日本では、饅頭(様々な種類があります)は、最も大衆的(一般的)で、最も、よく食べられている、和菓子(日本伝統菓子)の一つとなっています)。
写真以下3枚。栗入りのタルト(taruto)(これ全部を、一度に(この日の夕食で)食べた訳ではありません)。ここで言う、タルト(taruto)は、一般的な、西洋菓子のタルト(tart)ではなく、愛媛(ehime)県の、伝統菓子の一つの、タルト(taruto)です。愛媛(ehime)県の、伝統菓子の、タルト(taruto)は、カステラ(kasutera。16世紀半ばに、ポルトガル(Portugal)から、日本の、九州(kyusyu)の長崎(nagasaki)県に伝えられた西洋菓子を基に発展した、ケーキ(cake)の様な感じの和菓子(日本伝統菓子)。本場は、長崎(nagasaki)県だが、日本全国で食べられている)の様な生地と、餡を使った、ロールケーキ(swiss roll)の様な、お菓子です。松平 定行(matsudaira sadayuki)(日本の地方領主。1635年から、1658年に、72歳で、息子に家督を譲って隠居するまで、現在の、松山(matsuyama)市を中心とする地域を統治した)が、17世紀半ばに、長崎(nagasaki)で、西洋菓子に接し、その味に魅了され、西洋菓子の製法を、松山(matsuyama)に持ち帰り、地元の菓子職人に作らせ、改良を加えた事が基になって生まれた、お菓子です。以来、近代になるまで、主として、松山(matsuyama)の松平(matsudaira)家(現在の、松山(matsuyama)市を中心とする地域を統治していた地方領主の家)専用の、お菓子でしたが、近代に入ると、一般庶民にも広まりました。ちなみに、彼女は、愛媛(ehime)県の、タルト(taruto)は、何回か食べた事があったそうですが、私は、今回、初めて食べました。このタルト(taruto)は、柚の風味の小豆餡を使い(タルト(taruto)の餡は、柚の風味の小豆餡が、一般的な様です)、栗が入ったタルト(taruto)です。



断面は、こんな感じです(今回、買って来たのは、上の写真のタルト(taruto))。値段が、比較的高く、栗が、たくさん入った下の写真のタルト(taruto)と、どちらを買って来るか、少し迷ったのですが、持った所、下の写真のタルト(taruto)は、割と重たかったのでw、比較的安い、上の写真のタルト(taruto)を買いました(ちなみに、タルト(taruto)は、我が家用の、1本に加えて、我が家の近所の実家への土産を含む、ちょっとした、お土産(贈り物)用に、3本買いました)。
写真以下2枚。先々週の火曜日に、仕事の用事で、新宿(東京の主要なビジネス(business)地区の一つであると共に、東京最大級の繁華街の一つ。東京都心部の西部に位置する)を訪れた際に、新宿の、ELTORITO(アメリカの、Californiaに拠点を置く、メキシコ料理のレストランのチェーン(chain)。店舗数は、それ程多くないが、日本でも、チェーン(chain)展開している)の店舗で食べた、昼食。新宿の、ELTORITOの店舗は、前は、時々利用する程度でしたが、最近は、利用する頻度が上がり、(特に、新宿に仕事の用事で訪れる際に、昼食で)、割と、よく利用しています。ちなみに、私が通っていた、大学の近くに、かつて、ELTORITOの店舗が有って(今はない)、大学生時代、その店舗を、よく利用していました(大学内の、親しい友人同士の溜まり場の一つになっていた)。
付け合せ(side dish)のスープ(soup)。
先々週の木曜日(以下、この日と書きます)、我が家で、一人で食べた昼食。時々、利用している、私の街の、フランス料理を中心とした、小ぢんまりとした惣菜(おかず)店(delicatessen)で買って来た物。ベーコン(bacon)とゴルゴンゾーラ(Gorgonzola)のキッシュ(quiche)と、鶏の挽肉と根菜のキッシュ(quiche)。付け合せ(side dish)の、ガルビュールスープ(garbure)とサラダ(salad)。ちなみに、この惣菜(おかず)店の建物の上の階にある、この惣菜(おかず)店(delicatessen)と同系列の(同じ経営者が経営する)、バー(bar)と言った感じの、小ぢんまりとした、カジュアル(casual)な、フランス料理食堂は、よく利用しています。もう一つ、ちなみに、私の街の別の場所にあった(別の場所と言っても、この店の、すぐ近く)、やはり、この惣菜(おかず)店と同系列の(同じ経営者が経営する)、(カジュアル(casual)な雰囲気で、手頃な値段ですが)、バー(bar)と言った感じではなく、割とちゃんとした(店内も、割と、ゆったりとした)、フランス料理レストランは、お気に入りで、よく利用していたのですが、既に閉店し、現在は、別の経営者のイタリア料理レストランになっています(そのイタリア料理レストランは、一度利用しましたが、料理が、全般的に、今一つの内容と味と言った印象で、それ以来利用していません)。この日は、夕方まで、我が家で、自宅(我が家)に持ち込んだ仕事をしていて、夕方から、職場(事務所)に出ました。この日の夕食は、外食(日本料理食堂)で、取引先の方と食べました。
写真以下3枚。先週の火曜日、仕事から我が家に帰って来て、彼女と二人で食べた夕食の、おかずの、極一部。この日の夕食は、この他、刺身(メイン(main)の、おかず)、焼き魚(魚の焼き物)、舞茸(茸)ご飯(rice)(自家製)、冷たい豆腐、野菜サラダ(salad)等を食べると共に、葉山(hayama)・横須賀(yokosuka)areaの農産物販売所で買った、三浦(miura)半島産の野菜を、バーニャカウダ(bagna cauda)で食べました。
写真以下2枚。マートで、目に付いて買った、おきゅうと(okyuto)。おきゅうと(okyuto)なる物は、この時、初めて食べました。おきゅうと(okyuto)は、九州(kyusyu)の、福岡(fukuoka)県を中心に、古くから食べられている、海藻加工食品です(説明は、wikiを参考にしました)。
写真右は、おきゅうと(okyuto)に付けて食べる、酢味噌。そもそも、切り方は、これで良いのか?w 不味くはなかったけど(嫌いな味ではなかったけど)、かと言って、美味しいと言う程でも、ありませんでしたw
先々週末は、湘南(syonan)・三浦(miura)半島area(東京の南部近郊(神奈川(kanagawa)県)の、海沿いの保養地)に遊びに行って来たのですが、その際に、三浦(miura)半島の、葉山(hayama)・横須賀(yokosuka)areaの農産物販売所で買った、三浦(miura)半島産の野菜(三浦(miura)半島では、多くの野菜が栽培されています)の一つの、紫カリフラワー(cauliflower)を、茹でた物。マヨネーズ(mayonnaise)を付けて食べました。
写真以下3枚。昨日、仕事から我が家に帰って来て、一人で食べた夕食。この他、野菜サラダ(salad)を食べました。昨日は、昼食は、軽目だったので、夕食は、割と、がっつりと(しっかりと)食べました。
メイン(main)料理、ステーキ(beef steak)(国産(日本産)、ヒレ肉(fillet))。焼いている途中。
私の街の、手作りパン屋の一つのパン。ソーセージ(sausage)パン、ジャガイモ(potato)パン、サンドイッチ(sandwich)。ソーセージ(sausage)パンは、半分弱程、サンドイッチ(sandwich)は、70%程、写真を撮る前に(夕食の準備前&準備中に)、腹が減って、既に食べてしまっていました。このパン屋(1930年創業)は、凝ったパンを売る、昨今の、手作りパン屋と異なり、昔ながらの、素朴な、街の手作りパン屋と言った感じの店です。このパン屋は、たまに利用しています。
昨日は、自動車で、仕事に出ていて、最後、私の街の、北の隣街の、取引先から、直接我が家に帰って来たのですが、帰りに、私の街の、北の隣街の取引先の近くの、おかずの華(okazu no hana)の店舗で買った、サイド(side dish)の、おかず。左上、鯖(魚)の南蛮漬け、右上、鶏肉団子(鶏肉団子は、腹が減っていた勢いで、3つ買いましたが、少し、多過ぎた。。。1個、残し、今日の朝食の一部として食べました)、写真下、メンチカツ(洋食の一つであり、日本で、よく食べられている、庶民的な食べ物・おかずの内の一つ。とても単純に説明すれば、ハンバーグ(hamburger steak)の揚げ物)。おかずの華(okazu no hana)は、オリジン(origin)(チープな(安い)、惣菜(おかず)と弁当(bento)の販売店のチェーン(chain))の様な、惣菜(おかず)と弁当(bento。簡単な食事の一つで、基本的に、ご飯(rice)と、おかずが、箱型の容器に入っている)の販売店のチェーン(chain)(東京圏にチェーン(chain)展開している)ですが、オリジン(origin)よりも、少し、売っている物の値段が高く、少し、売っている物の質が高いです(まあ、それでも、安いけど。。。)。ちなみに、私の街には、オリジン(origin)の店舗はありますが、おかずの華(okazu no hana)の店舗はありません。
写真以下は、適当に、おまけ。。。

林檎ジャム(jam)を挟んだ、チープな(安い)、クッキー(cookie)。私は、個人的には、あまり馴染みがありませんでしたが、古くから販売されている製品の様です。
カバヤ(kabaya。日本の大規模菓子会社の一つ。本社は、岡山(okayama)県、岡山(okayama)市。1946年創業)の、苺風味の、チョコレート、クッキー(cookie)菓子。

写真左、「SKYY BLUE」。SKYY vodkaを使った、若者向けの、爽やかな味の、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)です(アルコール(alcohol)度数は、4%と低い)。写真右、ローリングストーンズ(The Rolling Stones)パッケージ(包装)の、エナジードリンク(energy drink)とジン(gin)用いた、カクテル(cocktail)と言った感じの、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)(アルコール(alcohol)度数は、5%)。若者及び、比較的、若い層向けと言った感じかな。。。

写真左、福岡(fukuoka)県(九州(kyusyu)にある県の一つ。中心都市は、福岡(fukuoka)(九州(kyusyu)最大の人口を有する都市))産の、あまおう(amaou)苺(高級な、苺の品種の一つ)風味の、乳製品drink。チープな(安っぽい)味ですが、これは、これで、中々、美味しいです。写真右、白い、苺牛乳。
写真以下。写真左、人工甘味料(artificial sweetener)と着色料を、不使用の、苺のソーダ(soda pop)。写真右、ディズニー(Disney)パッケージ(包装)の、「午後の紅茶」、茶葉2倍、ミルクティー(tea with milk)、クオリティシーズン(quality season)のウバ(Uva)を使用。

