去年の10月の終わりに、東京の我が家から自動車で2時間半程の、長野(nagano)県の中南部の高原地帯(避暑地)にある別荘(別荘とは言っても、比較的裕福な人々が保有する様な典型的な別荘ではなく、庶民的な中古の一戸建て住宅です)に、滞在して来た時の物です。
以下、「10月の終わりの高原滞在&食べ物1」からの続きで、この時の、2日目(以下、この日と書きます)についてです。
この日、朝寝坊をし、別荘で食べた、遅い朝食兼昼食は、普段、東京の我が家で食べている朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt))と、基本的に同じでした。
私の別荘の有るエリア(area)(長野(nagano)県の中南部area)は、大きく、諏訪(suwa)湖(下の補足説明参照)周辺の盆地エリア(area)と、高原エリア(area)に分かれます。私の別荘は、高原エリア(area)の方に有りますが、高原エリア(area)と、諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)の間は、自動車で簡単に行き来出来ます(高原エリア(area)と、諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)は、経済的・文化的な繋がりは、強いです)。
諏訪(suwa)湖:長野(nagano)県の中南部に有る大きな湖。諏訪(suwa)湖周辺は、温泉が豊富で、規模の大きな温泉保養地等となっています。
写真以下。この日は、遅い朝食兼昼食を食べた後、少し、別荘に持ち込んだ仕事をし、その後、諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)に、少し足を延ばしました。
長野(nagano)県の中南部areaの諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)の、長野(nagano)県の中南部areaの高原area(私の別荘がある)に近い地域にある(諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)と高原エリア(area)の境位にある)、(地元産の玉子等)高品質な玉子店・玉子を使った菓子店(西洋菓子が中心)で、シュークリーム(cream puff)(この店の、シュークリーム(cream puff)の、クリーム(cream)は、カスタード(custard)クリーム(pastry cream)となっています)を買って、一個ずつ食べました。この店の、シュークリーム(cream puff)は、中々、美味しいと思います。
長野(nagano)県の中南部areaの諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)は、諏訪(suwa)市(人口5万人程の小都市ですが、諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)だけでなく、(高原エリア(area)も含む)長野(nagano)県の中南部areaの中心都市。大規模な温泉保養地となっていて、温泉を、家の風呂に引いている一般家庭も有る程、温泉の湯量が豊富)、下諏訪(shimosuwa)町(人口約2万人。町としては、人口が、多い。温泉の湯量が、豊富で、古くからの温泉保養地となっている)、岡谷(okaya)市(人口約5万人。温泉が乏しく、観光面においては弱いが、近代以降は、工業都市(第二次世界大戦前は、製糸業、第二次世界大戦後は、精密機械工業)として発展)から、成ります。ちなみに、私の別荘がある、長野(nagano)県の中南部areaの高原エリア(area)の方は、茅野(chino)市、富士見(fujimi)町、原(hara)村と言う、三つの市町村から成ります。高原エリア(area)で、最も人口が多く、高原エリア(area)の中心となっているのは、茅野(chino)市(高原にある、人口5万人程の小都市)です。
写真以下、この日は、まず、諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)の、下諏訪(shimosuwa)町(人口約2万人。町としては、人口が、多い。温泉の湯量が、豊富で、古くからの温泉保養地となっている)を訪れました。下諏訪(shimosuwa)町は、日本の田舎の町の中では、比較的、古い雰囲気を良く残している方の町です。
写真以下5枚。適当に目に付いた、蕎麦食堂で、午後4時位に、おやつと言った感じで、軽食の、暖かい蕎麦を食べました。蕎麦は、長野(nagano)県で、昔から、よく食べられている、長野(nagano)県の名物料理の一つで(長野(nagano)県の、代表的な軽食で)、長野(nagano)県には、蕎麦食堂が、たくさんあります。この蕎麦食堂は、初めて利用しましたが、この蕎麦食堂の、蕎麦の味は、長野(nagano)県の、蕎麦食堂の、蕎麦として、極、普通(特に、何も印象に残らない味)と言った感じでした。
この蕎麦食堂の内装。
蕎麦茶。
写真以下3枚。この蕎麦食堂で、午後4時位に、おやつと言った感じで食べた、軽食の、暖かい蕎麦。
彼女が食べた、暖かい、山菜(山や、森、野原で採れる食用植物)蕎麦。
写真以下2枚。私が食べた、暖かい、狸(tanuki)蕎麦(下の補足説明参照)。
狸(tanuki)蕎麦:揚げ玉(粒状の、天麩羅の衣)を、トッピング(topping)とした蕎麦。狸(tanuki)蕎麦と言う名前でも、狸肉が、入っている訳ではありませんw
蕎麦食堂で、蕎麦を食べた後、この蕎麦食堂の、すぐ近くにある(この蕎麦食堂が、諏訪(suwa)大社(taisya)の秋宮(akimiya)の、すぐ近くにあると言った表現の方が、適切かもしれませんが。。。)、諏訪(suwa)大社(taisya)の秋宮(akimiya)を訪れました。
長野(nagano)県の中南部(特に、私の別荘がある、高原エリア(area))では、縄文(jomon)時代(今から、およそ16,000年位前から、2,300年位前)の遺物や住居跡が、たくさん見付かっています(どうやら、縄文(jomon)時代においては、長野(nagano)県の中南部は、日本で、比較的、人口の多い地域だった様です)。
縄文(jomon)時代の信仰は、日本の神道に大きな影響を与えたと思いますが、長野(nagano)県の中南部には、歴史や権威等において、日本有数の、神道の神社(shrine)で有る、諏訪(suwa)大社(taisya)(その起源は、定かでなく、日本で、最も古い神社(shrine)の一つであると言われている)が有ります(諏訪(suwa)大社(taisya)は、前宮(maemiya)、本宮(honmiya)、春宮(harumiya)、秋宮(akimiya)と、4つに分散していますが、前宮(maemiya)(諏訪(suwa)大社(taisya)の原点とされる)は、茅野(chino)市に、本宮(honmiya)は、諏訪(suwa)市に、春宮(harumiya)と秋宮(akimiya)は、下諏訪(shimosuwa)町に有ります)。何故、(現在においては)、日本で、人口が、相対的に少ない地域で有る、長野(nagano)県の中南部に(諏訪(suwa)大社(taisya)の中心となっている、本宮(honmiya)が有る、諏訪(suwa)市は、長野(nagano)県の中南部の中心都市ですが、それでも、人口5万人程。江戸(edo)時代(1603年から1868年)においても、諏訪(suwa)家(長野(nagano)県の中南部を統治していた地方領主の家)は、決して有力な地方領主ではなかった)、歴史や権威等において、日本有数の神社(shrine)があるのかと考えた時、長野(nagano)県の中南部は、原始、古代において、日本で、相対的に、人口が多かった地域である(特に、鹿肉等の肉食を含む、狩猟採集の時代(縄文(jomon)時代及び、それ以前)においては、日本で、比較的、住み易い地域だった?したがって、当時としては、かなりの程度の人口を有していた?)と言うのも、ほんの少しは、関係しているのかもしれません。
諏訪(suwa)大社(taisya)の成立以来、長い年月に渡り、諏訪(suwa)大社(taisya)の神長官(jinchokan)(神官(shikan)(神に仕える者)の長(leader)。諏訪(suwa)市の諏訪(suwa)家の、大祝(oohouri)と供に、諏訪(suwa)大社(taisya)最高位の役職。現在で言う、神主(kannushi)(その神社(shrine)における神職(shinsyoku。神に奉仕し儀式等を行う者)の中で、最も偉い者)と言った感じかな。。。)を務めたのは、茅野(chino)市の守矢(moriya)家です。守矢(moriya)家は、神道(ここら辺になると、伝承(folklore)世界に入ってしまいますが、出雲(izumo)神族。後の、諏訪(suwa)家(下の補足説明参照))が、長野(nagano)県の中南部に勢力を伸ばす前から、長野(nagano)県の中南部を、神として長(leader)として治めていた一族で、縄文(jomon)時代以来の自然信仰を守っていました。その事から、守矢(moriya)家は、農耕開始以前の信仰と祭事(儀式)を今に伝える家として、宗教史上に知られています。
諏訪(suwa)家:代々に渡り、諏訪(suwa)大社(taisya)の大祝(oohouri。神の化身として、諏訪(suwa)大社(taisya)最高位の役職)を務めて来たと供に、長きに渡り、地方領主として、長野(nagano)県の中南部(諏訪(suwa)地方)を統治して来た一族。16世紀半ばには、現在の山梨(yamanashi)県の武田(tekeda)家に、かき乱されましたが、16世紀後期に再興し、江戸(edo)時代(1603年から1868年)には大名(地方領主)家と大祝(oohouri)家とに分かれ隆盛しました(wikiを参考にしました)。明治(meiji)時代(1868年から1912年)になると、地方領主としての地位は、失いましたが、大名(地方領主)家の方は、貴族(子爵)の地位が与えられました。伝承(folklore)の世界に入ってしまいますが、諏訪(suwa)家は、遠い昔に出雲(izumo)から長野(nagano)県の中南部に侵入し定住した人々の、神で有り長(leader)であった、建御名方神(takeminakatanokami)の子孫とも言われています。もし、伝承(folklore)が正しいとすれば、外部から、長野(nagano)県の中南部に侵入して来た、建御名方神(takeminakatanokami)の軍と、守矢(moriya)家を長(leader)とする、元々、長野(nagano)県の中南部に暮らしていた人々が戦い、より高度な武器を持つ建御名方神(takeminakatanokami)の軍が勝利したものの、建御名方神(takeminakatanokami)及び建御名方神(takeminakatanokami)が引き連れて来た人々は、少数派であった為、建御名方神(takeminakatanokami)(後の諏訪(suwa)家))は、神(神の化身)となり、元々、長野(nagano)県の中南部を、神として長(leader)として治めていた守矢(moriya)家は、神官(shikan)(神に仕える者)の長(leader)となる事で、新しく侵入して来た人々と元々暮らしていた人々との調和と融合が図られたのかしれません。
写真以下41枚。諏訪(suwa)大社(taisya)の秋宮(akimiya)。前述の通り、長野(nagano)県の中南部にある、諏訪(suwa)大社(taisya)は、前宮(maemiya)、本宮(honmiya)、春宮(harumiya)、秋宮(akimiya)と、4つに分散していますが(前宮(maemiya)は、茅野(chino)市に、本宮(honmiya)は、諏訪(suwa)市に、春宮(harumiya)と秋宮(akimiya)は、下諏訪(shimosuwa)町に有ります)、その内の一つ、下諏訪(shimosuwa)町に有る、諏訪(suwa)大社(taisya)の秋宮(akimiya)です。
御柱(onbashira。大きな木の、柱)。長野(nagano)県の中南部では、御柱(onbashira)祭りと言う、御柱(onbashira。大きな木の、柱)を、多く使った、規模の大きな、奇祭(風変わりな、お祭り)が、6年に一度行われています。御柱(onbashira)祭りの起源は、古代以前まで遡ると言われています。
写真以下、諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)の、下諏訪(shimosuwa)町(人口約2万人。町としては、人口が、多い。温泉の湯量が、豊富で、古くからの温泉保養地となっている)の、街並み(住宅等)の風景例。下諏訪(shimosuwa)町は、日本の田舎の町の中では、比較的、古い雰囲気を、良く残している方の町です。
前にkjで、アップ(upload)した写真の再利用。下諏訪(shimosuwa)町にある、古い一戸建て住宅の、蔵(倉庫)を改装したcafe。このcafeは、前から、ちょっと気になっていて、利用したいと思っているcafeです。この日、下諏訪(shimosuwa)町を訪れた(諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)に足を延ばした)目的は、このcafeを訪れる事にあったのですが。。。残念ながら、このcafeは、この日は、休みでしたorz(仕方がないのでw、蕎麦食堂で、蕎麦を食べて、諏訪(suwa)大社(taisya)の秋宮(akimiya)を訪れました)。このcafeに、振られたのは(利用しようと思って、訪れたら、休みで、利用出来なかったのは)、2回目です。
10月の終わりの高原滞在&食べ物3へ続く。。。