「 いい旅チャレンジ20,000km 」
いい旅チャレンジ20,000km(いいたびチャレンジにまんきろ)とは、1980年(昭和55年)3月15日から10年間行なわれた日本国有鉄道(国鉄)のキャンペーンのことである。当時営業キロ20,000km強・242線区あった国鉄全鉄道路線の完乗を目的とするものであった。期間中に国鉄は分割民営化されJRグループとなったが、キャンペーンはそのまま引き継がれ、1990年3月14日に終了した。元々は、宮脇俊三著作の『時刻表2万キロ』がヒットしたことから生まれたキャンペーンだと言われている。
☆キャンペーン概要
ある路線の始発駅と終着駅で自身と駅名標が写った写真を撮り、これを事務局に送付すると、その路線を走破したことが認証され踏破認証シールが戻ってくる。これを専用のファイルに集めていくと、踏破した路線数に応じて記念品がもらえるというものであった。
本キャンペーンのルールに於ける「路線」とは国鉄及びJR各社の正式な路線を指していた。従って実際の列車運用が正式な始発・終着駅と異なる場合は特例として列車自体の始発・終着駅の写真が認められ(但し、完全踏破には正式な始発・終着駅が必要)、また路線を全線走破する列車がない場合は途中の乗換駅での写真も必要となった。
なお、各新幹線はそれぞれ独立した1路線としてカウントされた。また、大阪環状線については始発・終着駅とも大阪駅であるため、例外として同駅の他に天王寺駅の写真が必要とされた。
第一線区目の写真を送付したときに会員証が発行された。この会員証を呈示すると東急インが割引になるといったサービスも行われていた。
踏破線区数が切りのよい数字になると、賞状と副賞がもらえた。以下にその一覧を示す。
10線区踏破: 10線区賞
20線区踏破: 20線区賞
30線区踏破: 30線区賞
40線区踏破: 40線区賞
50線区踏破: 富士賞
80線区踏破: こだま賞
100線区踏破: ひかり賞
150線区踏破: 旅客局長賞
完全踏破: 総裁賞
当初は、キャンペーンにタイアップした富士フイルムの提供により、8ミリカメラ(ビデオではない)や8ミリ映写機などの副賞も存在したが、公正取引委員会の指導により、ごくわずかの期間で廃止された(実際にそれらの副賞をもらえた完乗者も存在したが、その数もごくわずかだった)。
これら以外にも125線区ないし150線区以上の踏破者には努力賞が贈られる場合もあった。また抽選で旅行券などが贈られたこともあった。
キャンペーン期間中、各線の始発・終着駅の中には踏破証明用として駅員の姿絵と駅名が描かれた「顔出し看板」(観光地や名所でよく見られる顔の部分がくりぬかれた看板)が設置された駅も多く見られた。
なお、青春18きっぷは、このキャンペーンのために生まれたとも言われている
☆番組
キャンペーン初期のほんの短期間だが、このキャンペーンのタイトルと同名の番組が、1980年の土曜午前にフジテレビ系列で放送されていた事があった。司会者の大野しげひさが20000キロの旅を継続している子供を紹介するものであった。オープニングテーマは成田賢の『線路で描ける日本地図』、エンディングテーマは成田賢の『終わりのない旅』。
その後1981年に、『いい旅、ときめき本線 - チャレンジ20,000km - 』とリニューアルした。内容はクイズ形式に変更され、毎週違う路線が題材に取り上げられており、押阪忍が司会をつとめた。最末期には提供スポンサーの富士フイルムが『映像クイズ・ア!知ッテレビジョン』の提供に移ったため、富士フイルム以外の提供となった。なお、番組終了後にまったく同じルールで『クイズのりもの講座』として別時間に復活した
☆関連商品
バンダイより「いい旅チャレンジ20,000km」というタイトルの2 - 6人用の日本一周ボードゲームが2,560円で販売されていた。
荘司としお作による、いい旅チャレンジ20,000kmに挑戦する中学生(後に高校入学)を主人公にした「チャレンジくん」というタイトルのサスペンス風コミックが全5巻の単行本として弘済出版社より出版されていた。現在、eBookJapanで全巻ダウンロード可能。また、大創産業のダイソーコミックシリーズとして(タイトルは「チャレンジ君」に変更)、1・2巻の内容に一部手を加えたものが「100円SHOPダイソー」にて販売されている。
弘済出版社からルールブックが発行され、キヨスクの他に主要な書店でも販売されていた。ルールの記載以外に、踏破路線を記録するための白地図などが掲載されていた。
私も・・・小学生の頃・・・少しやっていた ww
岡多線(岡崎・・・多治見)
(現・愛知環状鉄道線の一部)の・・・新豊田駅
武豊線(大府・・・武豊)・・・武豊駅
武豊線の電車は・・・古かったが・・・
トイレが付いていて・・・素晴らしかった w
入ってみたが・・・穴の下は・・・そのまま線路だった w
ええっ w 線路上に糞尿を垂れ流し www
昭和55年(1980年)頃の話ですが・・・
武豊線は・・・素晴らしかった w
今でも・・・地方へ行けば・・・そんな電車が走ってるのかしら?
( おまけ ) Wiki
☆武豊線・・・歴史
東京 - 大阪間に建設される鉄道が国防上の理由から中山道経由と決定、武豊港に基地を設けてレールや機材などの建築資材を海上輸送することになり、資材運搬線として武豊駅 - 熱田駅間が1886年3月1日に開業した。なお、武豊線は愛知県で初めて建設された鉄道路線である。
しかし、中山道経由では難工事が予想されることから同年7月19日東京 - 大阪間の幹線鉄道を東海道経由に変更。大府駅以北が東海道線に組み込まれることになり、浜松駅 - 大府駅間が1888年に開業すると大府駅 - 武豊駅間が支線となった。1909年の線路名称制定で正式に武豊線と命名された。
1886年(明治19年)3月1日:武豊駅 - 熱田駅間が開業。開業当初の通称は半田線。現在の武豊線にあたる区間に緒川駅(初代)・亀崎駅・半田駅・武豊駅が開業。
1887年(明治20年)9月10日:緒川駅(初代)廃止。大府駅開業。
1888年(明治21年)9月1日:東海道線浜松駅 - 大府駅間が開業し、大府駅 - 武豊駅間(12M53C18L≒20.38km)は東海道線の支線となる。
☆武豊線・・・過去の車両
1958年の旅客列車気動車化以降のもの。以下はすべて気動車である。
キハ17形
キハ55・26形
キハ35・30形 - 国鉄時代後半に使用。主に3両編成で一部は4両編成。1986年にキハ58系に交代。
キハ58・28形、キハ65形 - 国鉄末期からJR初期にかけて、キハ35系の老朽化と冷房化促進のため同系を置き換えて使用された。2両または4両編成が基本だったが、6両編成や急行「のりくら」の間合い運用でグリーン車連結の9両編成もあった。1991年より順次キハ40系に交代した。
キハ40・47・48形 - キハ58系を置き換え、1999年まで使用された。2両または4両編成。一部列車はワンマン運転。
※トイレの設置
キハ35形は比較的長距離の運用を想定し、トイレを設置している。トイレ向かい側の座席は、トイレ利用者と着席客双方の心理を考えクロスシートとされた。