先週、個人的に休みであった日(以下、この日と書きます)に、彼女と、鎌倉(kamakura)を散歩して来た時の物です。
この日は、朝寝坊をし、遅い朝食兼昼食を、食べてから、のんびりと、東京都心部の我が家を出発しました。
東京の南部近郊にある、鎌倉(kamakura)は、中世(1185年から1333年まで)に、日本の政治の中心地であった中都市であり、中世以来の歴史を有する、寺や神社(shrine)が、数多くあります(ただし、鎌倉(kamakura)の寺や神社(shrine)の、現在の建物については、(極一部の例外を除き)中世よりも後の時代に、火事等の焼失により、再建された物であったり、時代に合わせて、建て替えられている物です)。その為、鎌倉(kamakura)は、東京近郊の主要な観光地の一つとなっています。私は、通常、鎌倉(kamakura)散歩が主目的の場合、(鎌倉(kamakura)は、道が狭くて、自動車を運転するのが疲れる等の理由により)、自動車ではなく、電車を使って行きます。この日も、電車を使って行きました。
以下、前回の投稿(「鎌倉(kamakura)散歩&食べ物1」)からの続きで、鎌倉(kamakura)を散歩の続きです。
長谷(hase)寺(下で紹介します)の周辺の、静かで、落ち着いた、住宅地にて。。。、鎌倉(kamakura)は、中心部の繁華街や、自動車の通行量の多い幹線道路沿いを除けば、基本的には、静かで落ち着いた住宅地となっています。
写真以下22枚。長谷(hase)寺。736年に創建された、歴史の古い、規模の大きな、仏教の寺です。長谷(hase)寺は、鎌倉(kamakura)の、主要な観光場所となっている寺の一つです。
写真以下3枚。長谷(hase)寺の、中心的な建物です。時代に合わせて建て替えられています。建物の内部には、高さ9m以上の、大きな、木造の仏像(現在の物は、14世紀から15世紀頃(又は、それ以前)に制作されたと推定されている)が、安置されています。
長谷(hase)寺を訪れた後は、長谷(hase)寺の周辺で、適当に、目に付いたcafeで、飲み物を飲みながら、のんびりとしました。写真は、この時、私が、このcafeで、飲んだ、飲み物の一つで、ホットワイン(暖かいワイン。mulled wine)です。このcafeは、この時、初めて利用しました。まあ、落ち着けましたが、特に、印象には、残らないcafeでした。

これは、参考に、前に、kjで、アップ(uplaod)した写真の再利用。江ノ電(enoden)の駅と、江ノ電(enoden)。江ノ電(enoden)は、主として鎌倉(kamakura)市の海に近い場所を走る(一部、海沿い(海に非常に近い場所)を走る区間がある)、路面電車(tram)的な、小さな電車です(路線距離は、10km程)。110年以上の歴史が有り、地元の人々や観光客達に、親しまれて来ました。
鎌倉(kamakura)は、(中世には、日本の政治の中心地でしたが)、15世紀半ば以降、衰退し、一時期、基本的に衰退した状態に有りましたが、19世紀頃から、徐々に観光地として発展し始め、また、19世紀後期以降、東京に近い、(近代)別荘地・保養地として発展し、再興しました。鎌倉(kamakura)は、19世紀後期以降、作家や詩人等、多くの文学者が、好んで、居住し、若しくは、別荘を構えて来ました。また、鎌倉(kamakura)は、1920年代、1930年代頃から、横浜や東京に通勤する、大学教授や高学歴(大学卒)会社員等の、インテリ(知識人)中流層・中上流(upper-middle)層が暮らす、郊外住宅地として発展して行きました。鎌倉(kamakura)は、現在も、小説家や、画家、文系の大学教授等、文化人達に好まれ、鎌倉(kamakura)及び、その周辺には、こうした人々が、多く暮らしているイメージが有ります。
写真以下36枚。参考に、この日に訪れた訳ではありませんが、前に、kjで、アップ(upload)した写真の再利用で、鎌倉(kamakura)の、静かで落ち着いた住宅地にある(ちなみに、鎌倉(kamakura)は、中心部の繁華街や、自動車の通行量の多い幹線道路沿いを除けば、基本的には、静かで落ち着いた住宅地となっています)、かつての、里見 とん(satomi ton)(下の補足説明参照)の住宅です。
里見 とん(satomi ton):1888年、横浜(神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県)の中心都市)生まれ。1983年に亡くなる。1910年代半ば頃から活躍した、日本の作家(小説家)。

里見 とん(satomi ton)。パンフレット(leaflet)より。。。里見 とん(satomi ton)(1888年、横浜生まれ。1983年に亡くなる)は、1910年代半ば頃から活躍した、日本の、作家(小説家)です。里見 とん(satomi ton)は、有名な作家(小説家)ではありますが、超有名な作家(小説家)と言う程ではなく、日本人ならば、誰でもが、常識として知っているべき作家(小説家)と言う程ではありません(日本人であっても、特に日本文学に興味がない人ならば、知らない人が多いと思います)。
写真以下35枚。鎌倉(kamakura)の、静かで落ち着いた住宅地にある、かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅。住宅の建物は、西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)と、付属の日本伝統式の建物から成り、西洋式の建物と、日本伝統式の建物は、渡り廊下で繋がっています。西洋式の建物は、1926年に完成し、日本伝統式の建物は、西洋式の建物に増築される形で、1929年に完成しました。里見 とん(satomi ton)は、この住宅の建物を建てる際に、設計の段階から、大きく関わり、この住宅の建物を、こだわりを持って(自分の好みを、大きく反映させて)建てた様です。かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅は、10年程前まで、現在の所有者(owner)が暮らしていた様ですが、現在は、この住宅の所有者(owner)は、同じ、鎌倉(kamakura)かどうか分かりませんが、別の場所に暮らしており、現在は(2007年より)、建築士が、この住宅を借り、自分の事務所(建築設計事務所)として使用しています。この様に、かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅は、現在は、建築設計事務所として使われていますが、建築設計事務所になってから、一週間に一度だけ、見学を受け付けています(一般に公開しています)。かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅は、所謂、観光場所ではなく、特定の興味を持つ人(日本文学に、深い興味がある人や、私の様に、古い住宅の建物に興味がある者等)以外にとっては、あまりに地味で、つまらない場所だと思います。

かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅(現在は、建築設計事務所として使われている)の、西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)の1階と、日本伝統式の建物の、間取り図。パンフレット(leaflet)より。。。左上(緑色で塗られている部分)は、日本伝統式の建物の間取り。日本伝統式の建物と、西洋式の建物は、渡り廊下で繋がっています。西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)の1階の間取りは、以下、左上から、時計回りに、説明して行きます。間取りの上の方、左から。。。里見 とん(satomi ton)の住宅であった時に、書生(syosei。家賃を払わずに、他人の家の一角(一隅)に住まわせて貰う代わりに、簡単な家の手伝いを行いながら、勉強に励む学生。第二次世界大戦前においては、少なからぬ富裕層の家庭が、書生(syosei)を受け入れていました)の部屋であった部屋。トイレの部屋(WCと書いてある所)。里見 とん(satomi ton)の住宅であった時に、女中(maid)の部屋であった部屋。物置(倉庫)として使われている部屋。バスルーム(bathroom)。間取りの下の方に行き、右から。。。台所(kitchen)。里見 とん(satomi ton)の住宅であった時に、食堂(dining room)であった部屋(現在は、建築設計事務所の、事務室(仕事部屋)として使われています)。応接間・居間(living room)(水色(青色)で塗られている部分)とサンルーム(sunroom)。ロビー(玄関・家の入口の空間)(ピンク色で塗られている部分)。この住宅が建てられた当時の、日本の、上流階級の家や、比較的裕福な中上流(upper-middle)層の家では、女中(maid)用の部屋や、書生(syosei)用の部屋は、来客等に、その気配を感じさせない為に、なるべく、家の、隠れた見えない場所に配置されていたのですが、この住宅は、当時の、上流階級の家や、比較的裕福な中上流(upper-middle)層の家に比べれば、小さいので、女中(maid)用の部屋や、書生(syosei)用の部屋は、応接間・居間(living room)や、食堂(dining room)の、すぐ近くに配置されています。ちなみに、日本伝統式の建物と、西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)の応接間・居間(living room)は、現在は、建築設計事務所において、顧客等の訪問者を、迎えたり・接待する場所(部屋)、建築設計事務所の代表(所長)の建築士と、建築事務所に勤務する建築士等が会議を行う場所(部屋)、建築設計事務所の代表(所長)の建築士と、建築事務所に勤務する建築士・従業員が、寛いだり、宴会(party)を行ったりする場所(部屋)等として使われている様ですが、パーティー(party)や会合等用に、一般に貸し出されてもいる様です。
写真以下19枚。かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅の西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)。1926年に建てられた物です。

絵葉書より。。。




ロビー(玄関・家の入口の空間)の、部分(窓)。
写真以下3枚は、絵葉書より。。。

ロビー(玄関・家の入口の空間)。

応接間・居間(living room)。奥に見えるのは、サンルーム(sunroom)。


ロビー(玄関・家の入口の空間)から見た、応接間・居間(living room)。奥の扉の向こう部屋は、里見 とん(satomi ton)の住宅であった時に、食堂(dining room)であった部屋で、現在は、建築設計事務所の、事務室(仕事部屋)として使われています(この住宅が、一般公開が行われている時も、公開はされていません。まあ、私が見学した時は、その時、案内をして下さった、この建築設計事務所に勤務されている、比較的、若い(おそらく、私と、同年齢位、又は、私より、少し若い位の)、建築士?の方の、厚意により、特別に、少しだけ見せて貰いましたが。。。)。写真では閉まっていますが、奥の扉を開けると、食堂(dining room)(現在は、前述の通り、建築設計事務所の、事務室(仕事部屋)として使われています)、応接間・居間(living room)(及び、応接間・居間(living room)に付属した、サンルーム(sunroom))、ロビー(玄関・家の入口の空間)が、一つに繋がって、一つの、とても大きな部屋の様になり、多くの人を招待するパーティー(party)等に対応出来る設計となっています。


応接間・居間(living room)の暖炉(fireplace)(左上)と、応接間・居間(living room)から見た、応接間・居間(living room)に付属した、サンルーム(sunroom)。

応接間・居間(living room)から見た、応接間・居間(living room)に付属した、サンルーム(sunroom)。サンルーム(sunroom)は、大きな窓で、庭の景色を見たり、日の光を浴びながら、寛ぐ部屋です。
写真以下2枚。応接間・居間(living room)から眺めた、ロビー(玄関・家の入口の空間)。



ロビー(玄関・家の入口の空間)から見た、応接間・居間(living room)に付属した、サンルーム(sunroom)。サンルーム(sunroom)は、大きな窓で、日の光を浴びながら、寛ぐ部屋です。

(里見 とん(satomi ton)の住宅であった時に)、女中(maid)の部屋であった部屋の正面の、一階の廊下部分に、設置された、女中(maid)用の、家の主人、及び、その家族が、女中(maid)に用事がある事を知らせる装置。女中(maid)に用事がある事を知らせるボタン(button)?(基本的に、住宅の全ての部屋に設置されている)を、家の主人、又は、その家族が押すと、この装置は、音が鳴ると共に、どの部屋で、家の主人、又は、その家族が、女中(maid)を呼んでいるのか、女中(maid)に知らせます(装置の、丸い部分が、それぞれの部屋を表し、家の主人、又は、その家族が、各部屋において、女中(maid)に用事がある事を知らせるボタン(button)を押すと、音が鳴ると共に、(家の主人、又は、その家族が、ボタン(button)を押した部屋に該当する)丸い部分に、標が付きます)。この住宅が建てられた当時(1920年代から1930年代頃)の、日本の、中上流(upper-middle)階級から上流階級の家では、この様な装置が、設置されているのが、一般的であった様です。ただし、当時の、日本の、上流階級の家や、比較的裕福な中上流(upper-middle)層の家では、この様な装置は、女中(maid)用の部屋と共に、家の、隠れた場所にあったのですが、この住宅は、当時の、日本の、上流階級の家や、比較的裕福な中上流(upper-middle)層の家に比べれば小さいので、(この住宅においては)、女中(maid)用の部屋と共に、応接間・居間(living room)の、すぐ近くに配置されています(この装置は、応接間・居間(living room)と女中(maid)用の部屋の間の廊下(1階の廊下)に、女中(maid)用の部屋は、1階の廊下を挟んで、応接間・居間(living room)の向かいに配置されている)。

1階の廊下。
写真以下2枚。2階へと上がる階段。2階は、寝室(bedroom)となっています(2階は、この住宅が、一般公開が行われている時も、公開はされていません)。

写真右下の、階段の手摺りの柱の上の部分は、角が削られています。こうする事によって、子供や、女性に、恐怖感を感じさせない効果があるそうです。

写真以下13枚。かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅の、日本伝統式の建物。日本伝統式の建物は、(1926年に建てられた)西洋式の建物に増築される形で、1929年に完成しました。西洋式の建物(住宅のメイン(main)の建物)と、日本伝統式の建物は、渡り廊下で繋がっています。

これは、絵葉書より。。。 里見 とん(satomi ton)は、設計段階において、(日本伝統式の建物の部屋から見える景色を考慮しながら)、日本伝統式の建物の床の高さを決めるだけに、半年も、時間をかけたそうです。

外観。前述の通り、里見 とん(satomi ton)は、設計段階において、(日本伝統式の建物の部屋から見える景色を考慮しながら)、日本伝統式の建物の床の高さを決めるだけに、半年も、時間をかけたそうです。

これは、絵葉書より。。。







日本伝統式の建物から見た、西洋式の建物。




かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅の、西洋式の建物の、ロビー(玄関・家の入口の空間)。

かつての、里見 とん(satomi ton)の住宅の、西洋式の建物の、ロビー(玄関・家の入口の空間)から眺めた、応接間・居間(living room)の一部。
写真以下8枚。この日の、夕食は、長い間、気になりつつも、利用していなかった、鎌倉(kamakura)の中心市街地にある、1934年創業の(建物は、おそらく、時代に合わせて建て替えられています)、中国料理レストランで食べました。この中国料理レストランは、古くから(1930年代から)、鎌倉(kamakura)に暮らす、日本の、小説家・文学者等に愛され(鎌倉(kamakura)に暮らす、日本の、小説家・文学者等の、お気に入りのレストランとして)、よく利用されて来た店です。この中国料理レストランは、高級な、中国料理レストランではありませんが(店内も、カジュアル(casual)な雰囲気です)、中上級(upper middle)classの中国料理レストランと言った感じで、値段は、少し、高目です。この中国料理レストランの、中国料理は、日本人の、好みに合わせた、上品な、味と、見た目の、中国料理と言った感じで、美味しかったです。この中国料理レストランは、この時、初めて利用したのですが、また利用しても、良いかなと思いました。
写真以下7枚。この中国料理レストランで食べた、この日の夕食。なお、この夕食時は、私は、飲み物は、酒(アルコール (alcoholic)飲料)は、ビールと、紹興酒(Shaoxing wine)を飲みました。
写真以下6枚は、全て、二人で分けて食べました。
海老チリ。
豚肉(鹿児島(kagoshima)県(日本の、良質な、牛肉・豚肉等の産地となっている)産の、黒豚の肉)の、ロース肉(loin)の、レモン(lemon)ソース(sauce)。
焼売。
鶏肉とカシューナッツ(cashew nut)の、炒め物。
春巻き(spring roll)。私は、2個、食べました。
さっぱりとした、海老の、麺料理。
おまけで(無料で)、出してくれた、デザート(dessert)の、杏仁豆腐(alomond jelly)。一人、一皿ずつ。
鎌倉(kamakura)散歩&食べ物、終わり。。。