参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は休日を外で過ごす事は好きで、美味しい物を食べる事、自然の中を散歩する事、温泉に入浴する・温泉旅館等の温泉宿泊施設に宿泊する事、芸術や花を愛でる(鑑賞する)事等は、好きなのですが、本格的な登山やキャンプ等のアウトドアは好みません。
私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになりました。」
ちなみに、私の今の彼女と、私の元カノは、元々、面識はあり、知り合い同士であったのですが、今は、親しい友人同士となっています。
以下、基本的に、2011年の8月の中旬に行った投稿の再掲で(投稿文は、2011年の8月の中旬の投稿を前提としています)、2011年の6月の下旬に、当時交際していた、私の元カノ(以下、彼女と書きます)と、日光(nikkko)に、一泊二日の小旅行に行って来た時の物です。
6月の下旬に、日光(nikko。箱根(hakone)と共に、東京近郊を代表する観光地・保養地・避暑地)に1泊2日で、小旅行に行って来た時の物です。
私は、この時も、そうでしたが、日光(nikko)に、遊びに行く時は、通常、電車を使って行きます。
以下、以下の投稿の続きで、この時の2日目(以下、この日と書きます)の続きです。この日の、ハイキング(hiking)に関しては、以下の投稿を参照して下さい。
日光 湯ノ湖 新緑他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/4065491?&sfl=membername&stx=nnemon2
日光 戦場ヶ原 新緑他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/4065490?&sfl=membername&stx=nnemon2
写真以下。ハイキング(hiking)を終えた後、バス(bus)で、日光(nikko)市街地まで下り、少し、市街地を、ぶらぶら散歩し(&かなり遅目の昼食を食べ)てから帰りました。
日光(nikko)の市街地には、19世紀から1930年代頃に建てられたと思われる建物が、点在して、残っています。写真以下は、その例です。
写真以下2枚。元(かつての)、大名(daimyo)ホテルの建物。1919年に、高級リゾート(resort)ホテル、大名(daimyo)ホテルとして開業する予定で建てられた建物ですが、資金繰りの悪化により、結局、ホテルは、開業せず、建物は、企業(古河(furukawa)電気工業。おそらく、古河(furukawa)電気工業の、日光(nikko)電気精銅所で働く社員の為の、社員寮(会社員向けの寮)として使われた)の所有を経て(途中、一時期(第二次世界大戦後間もなくの頃)、連合国軍最高司令官総司令部(Supreme
Commander of the Allied
Powers)に接収され、連合国軍の将校等の、社交所・保養所として使用されました)、(古河(furukawa)電気工業より)、日光(nikko)市に寄付され、1950年代前半より、日光(nikko)市の、市庁舎として使われる様になりました(現在は、この建物は、日光(nikko)市の市役所の出張所の建物として使われています)。


写真以下26枚。金谷(kanaya)ホテル(日光(nikko)を代表する、歴史のある高級リゾート(resort)ホテル。1873年開業)の入り口の横に建つ、日光(nikko)物産商会の建物。1階が土産物店等、2階が食堂となっています。1905年に建てられた建物で、金谷(kanaya)ホテル付属の土産物店だった様ですが、現在は、金谷(kanaya)ホテルと資本関係にあるものの、金谷(kanaya)ホテルとは、別経営の(金谷(kanaya)ホテルから、独立して経営を行っている)、土産物店・食堂の様です(金谷(kanaya)ホテルよりも、大分、カジュアル(casual)な(庶民的な)雰囲気)。











写真以下18枚。日光(nikko)物産商会の2階の、洋食(yoshoku)(日本で、近代以降、日本で、日本人の好みに合う様に、(日本人の視点からすれば)改良された西洋料理)食堂で、かなり遅く(早目の夕食時間と同じと言うには、やや早い時間でしたが。。。)食べた、昼食(ハイキング(hiking)途中、お菓子を結構食べていたら、あまり腹が減りませんでした)。この食堂は、この時、初めて利用しました。私は、建物(特に、古い趣のある建物)に興味を持ったのは、近年(近年と言っても、もう、ある程度経っていますが)の事で、日光(nikko)物産商会の建物は、前は、あまり気にとまらなかったのですが(1階は、入った事がありました)、この時、ちょっと、2階の食堂が目にとまり、利用してみました。
写真以下15枚。食堂の内装。洋食(yoshoku)食堂になる前は、修学旅行生(修学旅行(学校が主催する旅行。学校の授業の一環としての旅行)の、高校生や中学生)向けの食堂だった様です(それよりも、さらに前は、やはりレストランだったのかもしれませんが。。。)。(掃除の)人手が足りない為か、内装の傘の上に、埃が、たくさん溜まっていたのが、少し気になりましたが(もちろん、テーブル(table)、床等は、綺麗に(清潔に)していました)、1905年に建てられた当時と、ほとんど変わらない内装で(おそらく。。。)、興味深かったです(窓ガラス(glass)も、1905年当時からの物なのだそうです。確か。。。)。
写真以下2枚は、団体客若しくは、大人数の個人予約客専用の部屋(おそらく。。。)。




こちらも、団体客専用の部屋(おそらく。。。)。比較的小規模な修学旅行(学校が主催する旅行。中学校や、高校の、授業の一環としての旅行)にも、対応しているのかな。。。











写真以下3枚の食事に、ご飯(rice)又は、パンが付きます(私と、彼女、それぞれ、どっちが、ご飯(rice)、パンを選んだのか、ちょっと忘れました。どちらかが、ご飯(rice)、どちらかが、パンを選んだ事は(二人共、ご飯(rice)又は、二人共パンと言う事ではなかった事)は、何となく、憶えているのですが。。。)。メイン(main)料理とスープ(soup)は、美味しかったです。

付け合せ(side dish)の、スープ(soup)(湯葉(yuba。豆乳から出来る食材。日光(nikko)の名物の一つとなっている)入り)と、サラダ(salad)。一人一皿ずつ。

私が食べた、栃木(tochigi)県(日光(nikko)が属する県。東京圏の北端に位置する)産の豚肉の、カツレツ(豚カツ(tonkatsu)の元となった洋食(yoshoku)。Wiener Schnitzelに似た料理)。

彼女が食べた、蟹クリーム(cream)コロッケ。

1920年代から1930年代位に建てられたと思われる、店舗の建物。

19世紀から1910年代位に建てられたと思われる、店舗の建物。