長崎(nagasaki)県は、九州(kyusyu)(日本の南部)の、北部から中部に位置する県です。
長崎(nagasaki)は、人口37万人程の中都市(中規模程度の人口を有する都市)で(中都市(中規模程度の人口を有する都市)としては、人口が多い)、長崎(nagasaki)県で、最大の人口を有する都市、且つ、長崎(nagasaki)県の中心都市です。
長崎(nagasaki)は、古くから(16世紀後期(1570年代)から)、中国とヨーロッパに対する貿易都市として栄えて来た、港町(港湾都市)です。
黄檗宗(oubakusyu)は、隠元 隆琦(ingen ryuki)(1592年生まれ。1673年に亡くなる。1654年に、日本に渡った、中国の、位(地位)の高い僧侶。日本に渡って以降、亡くなるまで、日本に暮らす)が、日本で開いた(日本で開設した)、仏教の宗派です。
京都(kyoto)(日本の西部に位置する大都市)は、794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都であった大都市であり、日本の伝統文化の中心都市です。京都(kyoto)は、非常に多くの、文化財や歴史的建造物を有し、日本を代表する、観光都市であると共に、世界を代表する観光都市(世界の代表的な観光都市)の一つともなっています。
ちなみに、非常に多くの仏教の寺を有する、日本の仏教の中心地、京都(kyoto)は、8世紀末から19世紀半ばまで、日本の首都であっただけに(8世紀末から16世紀までの、ほとんどの間、日本の政治、経済、商業、文化等(即ち、あらゆる面での)の中心都市だった)、日本の仏教の宗派の多くが、中心となる寺(日本全国の、その宗派の寺を束ねる本部となる寺(会社で言えば本社の様な感じ))を京都(kyoto)に置いています。
萬福(manpuku)寺(1661年創建)は、京都(kyoto)の郊外の、宇治(uji)市にある、黄檗宗(oubakusyu)の寺で、黄檗宗(oubakusyu)の中心となる寺(日本全国の、黄檗宗(oubakusyu)の寺を束ねる本部となる寺(会社で言えば本社の様な感じ))です。
萬福(manpuku)寺に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
萬福寺→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/4085079?&sfl=membername&stx=nnemon2
崇福(soufuku)寺(1629年創建)は、長崎(nagasaki)にある仏教の寺で、黄檗宗(oubakusyu)の寺です。
崇福(soufuku)寺は、長崎(nagasaki)で、貿易を行っていた、中国の、福建省(Fujian)出身の中国系の人々が、中国から、仏教の僧(僧侶)を招いて、1629年に創建した、仏教の寺です。崇福(soufuku)寺は、元々、黄檗宗(oubakusyu)の寺ではありませんでしたが、後に、黄檗宗(oubakusyu)の寺となりました。
隠元 隆琦(ingen ryuki)は、京都(kyoto)に、萬福(manpuku)寺を創建する前の、1655年に、崇福(soufuku)寺の住職(寺の仏教の僧)となっています。
写真以下7枚(写真は、借り物)。崇福(soufuku)寺の、現在の建物の例。
写真以下2枚。この門は、1644年に建てられた物です。

写真の作者:ほっきー

写真の作者:663highland
写真以下2枚(写真の作者:ほっきー)。

この門は、比較的、新しく、1849年に建てられた物です。

この建物は、1646年に建てられた物です。

写真の作者:663highland。この建物は、1666年に建てられた物です。

写真の作者:Yanajin

写真の作者:ほっきー
興福(kofuku)寺(長崎(nagasaki))は、長崎(nagasaki)にある仏教の寺で、黄檗宗(oubakusyu)の寺です。
興福(kofuku)寺(長崎(nagasaki))は、1624年に、中国から来た、仏教の僧(僧侶)により創建された寺で、元々、黄檗宗(oubakusyu)の寺ではありませんでしたが、後に、黄檗宗(oubakusyu)の寺となりました。
興福(kofuku)寺(長崎(nagasaki))は、日本に渡った、隠元 隆琦(ingen ryuki)が、日本に渡ってから、最初に、住職(寺の仏教の僧)を務めた寺です。ちなみに、隠元 隆琦(ingen ryuki)が、日本に渡った際に、到着し、且つ、最初に暮らしたのが、長崎(nagasaki)です。
写真以下2枚(写真は、借り物)。興福(kofuku)寺(長崎(nagasaki))の、現在の建物の例。

本堂(hondo)(寺の、メイン(main)の建物)。1632年に建てられた先代の建物が、火事で焼失し、1689年に再建された物。

写真以下3枚(写真は、借り物)。大浦(ooura)天主堂(tenshudo)。大浦(ooura)天主堂(tenshudo)は、長崎(nagasaki)にある、キリスト教の、カトリック(Catholic)の教会です。大浦(ooura)天主堂(tenshudo)の建物(1864年に建てられた)は、日本に現存する、キリスト教の建築物で、最古の(最も古い)物です。

写真の作者:Masoud Akbari

写真の作者:Chris 73。内部。
日本の中国(cyugoku)地方(以下、中国(cyugoku)地方と書きます)は、日本の西部地域で、関西(kansai)大都市圏(大阪、京都(kyoto)、神戸(kobe)を中心とする大都市圏。東京圏に次ぐ、日本第二の人口を有する大都市圏)と、九州(kyusyu)(日本の南部)の間に位置する地域です(ちなみに、中国(cyugoku)地方の名前の由来は、国の、中国とは、全く関係がありません)。
広島(hiroshima)は、日本の西部に位置する大都市(ただし、大都市としては、人口は、少ない)で、日本の中国(cyugoku)地方で、唯一の、大都市であると共に、日本の中国(cyugoku)地方の中心都市となっています。
広島(hiroshima)と長崎(nagasaki)は、第二次世界大戦の終わりに、アメリカ軍によって、原子爆弾が落とされ、壊滅的な被害を受けました。ちなみに、広島(hiroshima)と長崎(nagasaki)は、世界の歴史上、唯一の、原子爆弾が使用された都市です。
広島(hiroshima)に関しては、以下の投稿を参照して下さい。
広島1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3891724/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
広島2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3891723?&sfl=membername&stx=nnemon2
広島3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3891722?&sfl=membername&stx=nnemon2
広島1(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_16/view/id/3891724/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
広島2(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_16/view/id/3891723?&sfl=membername&stx=nnemon2
広島3(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_16/view/id/3891722?&sfl=membername&stx=nnemon2
江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)において、日本では、キリスト教は、ヨーロッパの侵略的植民政策の手段とされている宗教とされ、禁止されていました(違法でした)。
浦上(urakami)天主堂(tenshudo)は、長崎(nagasaki)にある、キリスト教の、カトリック(Catholic)の教会です。浦上(urakami)天主堂(tenshudo)がある、長崎(nagasaki)の、浦上(urakami)地域は、元々、16世紀に、日本にキリスト教が伝来して以来、キリスト教徒(キリスト教の信者)が多かった地域で、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)においても、密かに、キリスト教を信仰していた者が多く、江戸(edo)時代において、何度か、徳川(tokugawa)幕府(bakufu)(徳川(tokugawa)将軍(shogun)家(江戸(edo)時代において、東京を拠点として、日本全国の地方領主達の長(leader)として、日本を実質的に統治していた家)による日本の中央政府)により、キリスト教徒(キリスト教の信者)の摘発が行われました。
1879年に、浦上(urakami)天主堂(tenshudo)の起源となる、小さな聖堂が建てられました。

写真は、借り物。1914年に建てられた、浦上(urakami)天主堂(tenshudo)の初代の建物。
1914年に建てられた、浦上(urakami)天主堂(tenshudo)の初代の建物は、第二次世界大戦末期の、アメリカ軍の、長崎(nagasaki)への原子爆弾投下により、破壊されました。

写真は、借り物(写真の作者:663highland)。1959年に、(1914年に建てられた、浦上(urakami)天主堂(tenshudo)の初代の建物の外観を模して)、再建された、現在の、浦上(urakami)天主堂(tenshudo)の建物(2代目の、浦上(urakami)天主堂(tenshudo)の建物)。
写真以下(写真は、借り物。写真の作者:jimmyweee)。第二次世界大戦末期の、アメリカ軍の、長崎(nagasaki)への原子爆弾投下の際に、原子爆弾投下が投下された場所(原子爆弾投下が投下された中心地)に、永遠の平和を祈る目的で、1950年に開園した公園、長崎(nagasaki)市、平和公園。


長崎(nagasaki)市、平和公園にある、平和祈念像(1955年完成)。北村 西望(kitamura seibo)(1884年生まれ、1987年に亡くなる。1910年代半ばから活躍していた、日本の、近代、彫刻家)作。像の高さ9.7m、台座の高さ3.9m。神の愛と仏の慈悲を象徴し、垂直に高く掲げた右手は原子爆弾の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原子爆弾投下直後の長崎(nagasaki)の静けさを、立てた足は原子爆弾の恐怖を表し、軽く閉じた目は原子爆弾の犠牲者の冥福を祈っている。