以前 umibozeさんのスレで『日本の拓殖大学に在籍する「日中の高速鉄道技術にかんして権威的存在」である王曙光教授』を知りました。
その後、サーチナを見ていて、権威的存在なる王曙光教授が寄稿したコラムを
見つけたので、これを貼っておきます。
かなりの長文ですので、2回に分けて貼っておきます。
そして、ご一読後にご意見をお願いします。
王曙光の中国産業論(1)安全重視-中国の高速鉄道戦略の転換点
最近、中国の高速鉄道をめぐる報道の風向きが急変したことに、多くの読者は気づいているだろう。2011年2月頃までは、新線開通や建設、また は最高時速記録の更新などが話題を独占していたのに比べ、2月中、下旬頃からは、「安全性」というキーワードが中国国内の高速鉄道関連記事に頻繁に登場し た。とりわけ、2011年6月にも営業運転開始が予定される京滬線(北京・上海間高速鉄道)が注目される時期だけに、中国政府の高速鉄道戦略の転換に目が 離せない。
2010年12月の「世界高速鉄道大会」(北京)に出席した筆者は鮮明に記憶している。十数カ国の政府要人を含む世界各国の代表は、開会式の直 前に報道された中国南車製CRH380A型が北京・上海間で達成した時速486.1キロの試験走行最高記録に拍手を送ったこと。実は、その約1カ月後、中 国北車製のCRH380B型は同一区間での走行試験で487.3キロの新記録を作ったが、中国政府の意向で公式報道されなかった。
鉄輪式営業車両で達成した世界最高記録に自信が湧いたのか、2010年2月に行われた京滬線主要区間の長距離走行試験では、鉄道部の指示により 最高時速が400キロに設定、実施されたという。その走行試験に立ち会った鉄道部高級技師の知人からの情報によれば、鉄道部トップが当初設定した 「2011年目標」は、なんと、最高時速600キロ(走行試験記録)の達成だったという。
ところが、2011年2月に起きた鉄道部トップの汚職摘発事件を境目に、中国政府の高速鉄道戦略に急転直下の勢いで大転換を迎えた。新たに就任 した盛光祖(ション・グアンズオ)鉄道部長は、高速鉄道の最高運行時速を現行の350キロから300キロ以下に制限すると表明した。その決断理由として、 利用料金の引き下げと編成バリエーションへの配慮などが挙げられ、なかでも「安全性の確保」が最大の理由だった。
さらに、中国政府は高速鉄道列車利用の実名制、環境問題を抱える一部高速線の運行停止などを相次いで決定し、ここ数年中国国内で急速に膨張する 「高鉄フィーバー」への冷却処理措置を打ち出している。果たして、急速に展開する中国の高速鉄道事業に、どんな変化が起きたのだろうか。また、高速鉄道に とって生命線でもある安全性において、中国の高速鉄道がどんな危険を抱えているのだろうか。
実は、2011年2月12日の鉄道部長の解任からわずか2週間、新トップの座に着いた盛光祖氏の指示で、各地で「高鉄系統安全大検査」という キャンペーンが繰り広げられた。それに続き、路線建設の入札、品質と安全確保、投資の抑制と資金管理など、高速鉄道建設運営上の課題に関する専門家会議が 数度開催され、高速鉄道の計画と運営実態に対する精査が始まった。今後2年以内で、幹線支線を含めて数十本の高速鉄道の建設開通が計画される中国にとっ て、2011年は文字通り、試練の一年になりそうである。
「安全第一」は、中国の高速鉄道建設現場でも、運行中の鉄道施設でも、至る所に掲げられている、もっとも目立つスローガンである。しかし、快適な車両や近代的な施設とは裏腹に、中国人の乗客は常に、国産高速鉄道の安全性に不安を抱えているのが事実である。
筆者は2011年春の中国高速鉄道調査旅行でも、前代未聞の光景に自分の目を疑った。それは、2月27日午前10時23分の上海虹橋発・南京行 きのG7132号に乗った時のことだった。筆者は、途中駅の鎮江を過ぎた頃、車内の混雑ぶりを観察しようと、後ろの車両から先頭車両へ移動し、運転室と直 結する一番前の一等車に入った。なんと、ガラス越しで見えてくる運転室には、運転手以外に三人の男がところ構わず座っているのではないか! 時速300キ ロを超える高速鉄道運行中の運転室への部外者乱入か?!
不審者三人のうち、二人は制服姿の鉄道関係者ではなく、カジュアルな装いで一目で私的旅行を楽しむ連中だと分かる。私たち乗客の命を握るとも言 うべき高速列車の運転手が、こともあろうに、知人と思われる男たちのお喋りにうなずいているのではないか! ぞっと寒気をおぼえた筆者は、思わず iPhoneを取りだし、運転室の光景をカメラに納めた(写真)。鉄道部作成の高速鉄道車両運転マニュアルの安全管理項目を知る筆者だけに、あれほど厳格 な操縦規律の陰で、まさか人命軽視を象徴する「生」の場面に、自ら出会うことがあるとは、想像すらできなかったのである。以降、中国の高速列車に乗るたび に、筆者の脳裏に必ず、恐怖の「G7132号運転室」の画面がよぎるのである。王曙光の中国産業論(2)中国鉄道省は、なぜ「脱線」した?
中国の高速鉄道事業に対し、高官汚職に端を発する手抜き工事などへの懸念とともに、高速鉄道の安全性能を軽視した速度追求傾向に不安を抱く者 は、国内外問わずこれまでに少なくなかった。なぜ、長い間、安全性、効率性との関係に関する検証が不十分のまま、速度だけを追求する中国鉄道部の盲進に歯 止めがかからなかったのだろうか。
鉄道部とは、中央から地方までの鉄道部門を統括する巨大な役所で、中国の政府部門の中で異質な存在となっている。1997年以降、6回にわたる 「大提速」(スピードアップ)をもって、悲願の鉄道近代化を達成した実績が評価され、その功績は、『人民日報』の一面に何度も錦を飾らせた。そのなかで、 高速鉄道発展の推進者と賞賛されたのは、前鉄道部長の劉志軍だった。
劉は、中国高速鉄道事業の初期において、独日仏加など諸国からの技術提携を成功させ、その後、中国独自に開発した技術を加え、商業運行の世界最 高時速記録を相次いで更新した新型高速車両の開発と配備を主導した。この頃から、劉をはじめとする鉄道部の高官たちは、高速鉄道建設のスピードと運行速度 記録更新に対し、異常なほどのエネルギーを注ぎ、「高速鉄道の急発展」という実績を誇示し続けているのである。
しかし、中国の高速鉄道は、常に海外から「技術盗用」「模造」と非難され、技術提携パートナーの外国企業も時々、中国側が打ち出した速度更新の 決定にクレームをつけた。中でも、最高時速275キロの「はやて」を中国に技術供与した日本では、中国側の技術開発成果を否定する風潮が広がり、マスコミ は中国の高速鉄道を酷評する姿勢を貫いている。これらの非難を意識したせいか、中国鉄道部の高官たちは常に、時速の大幅更新を至上命令として、開発現場に 発破をかけている。
北京五輪の開幕に合わせた北京・天津間で最高時速350キロを達成。世界最長と言われる武漢-広州間でも時速350キロを実現。北京-上海間の 実験走行で486キロの世界最高記録を樹立。さらに、中国南車などはすでに時速500キロ級の超高速実験車両の試作に着手している(中国鉄道部の何華武・ 総工程師は、2010年12月8日の世界高速鉄道大会分科会で筆者に語った)という。こうして、中国の高速鉄道は、相次ぐ最高時速更新の実績で世界を驚か せている。
和諧号の製造基地・青島にある四方車両研究所(鉄道部直属)の技師である知人は、筆者にこう指摘している。「『はやて』の275キロ記録を大き く引き離すことが、開発現場を奮い立たせるスローガンになっている」。もしかしたら、意地でも外国人の口を封じようと、中国の高速鉄道関係者たちは、記録 更新の実績作りを急いでいるのかも知れない。それが事実であれば、速度追求路線を推進する鉄道部の姿勢に、大きな政治的意図が隠されていることになる。
筆者は、中国の高速鉄道事業に先天的な「欠点」がある、と考えている。これは、経済性、効率性の研究と検証が不十分のまま、速度更新に莫大な投 資を注ぎ込んでいることである。「スピードはすべてを変える」と信じていた劉志軍・前鉄道部長らは、自らの過大宣伝を隠すために、あえて最高記録樹立を もって次々と神話を作った。しかし、海外技術と自前の改造・改善措置が完全に消化吸収できていない中国で、この一連の「努力」がもたらす速度更新の常態化 は、かえって膨れあがった「虚像」の破裂を早めてしまうのである。
筆者は、中国の高速鉄道事業の偉大なる進歩を否定するつもりは毛頭ない。しかし、これらの進歩は、中国独特な「優位性」、例えば広大な国土で線 路にカーブが少なく、幅広の線路建設が可能、また環境規制が緩く、騒音対策がさほど厳しくない、などの好条件を生かした結果でもある。さらに、高速鉄道先 進国のメーカーは、規制や制約のため、または安全係数として、高速鉄道の運行速度に余力を設けてあるが、規制の緩い中国では、高速鉄道がこれらの余力部分 を食いつぶし、余裕のない運行高速化が強行されているのも事実である。
最近になって、中国鉄道部の新執行部は、中国の高速鉄道の「優位性」に危険性が伴っていることにようやく気づいた。安全重視という中国鉄道部の 新路線が、中国の高速鉄道事業に良い意味での方向転換をもたらすことを祈りたい。言うまでもなく、安全重視転換の基本姿勢は、中国の高速鉄道建設がようや く健全路線に立ち戻ったことを象徴している。筆者はその姿勢変化に熱烈な拍手を送るとともに、次のことを強く主張したい。
中国の高速鉄道事業は、そろそろ「安定期」の到来を迎えるべきだ。この安定期とは、他国から供与された技術と独自に開発された技術を、十分に消 化、吸収し、経験と教訓への整理、反省を経ながら、長期間の安定運行を通して、高速鉄道システムの安全性、効率性などを検証するのに欠かせない時期であ る。王曙光の中国産業論(3)「虹橋革命」-日本がかすむ、近未来型ハブの誕生
北京-上海間高速鉄道が開通し、2011年6月30日始発列車が北京南駅と上海虹橋駅からそれぞれ発車した。これにより、中国の高速鉄道事業は 新たな発展期に突入した。輝かしいテープカットが行われる華麗な舞台より、筆者は始発駅・上海虹橋の巨大プロジェクトに目線を奪われてしまう。「虹橋枢 紐」(虹橋交通総合ターミナル)が示してくれた近代的交通ターミナルの設計思想と実行力、そして建設スピード。「虹橋革命」と名付けておこう。
旧虹橋国際空港の増築と2号ターミナルの新設に始まった「虹橋プロジェクト」は、2005年立案、2006年建設決定、そして2008年着工か ら2010年開通までのわずか2年間で、総工費約474億元(1元は約13円)、総建築面積150万平米、ざっと計算すると東京駅(17万平米)と羽田空 港(63万平米)合計分の約2個分にもなる世界最大の交通総合ターミナルが誕生したのである。
驚くのは大きさと速さだけではない。鉄道、陸路旅客輸送、航空の三位一体と称されるこの巨大ターミナルは、全国高速鉄道網(時速300キロ超) の主幹線・京滬線(北京上海線)と、「動車組」と呼ばれる準高速鉄道(時速200-250キロ)の始発駅のほか、国際線・国内線のハブ空港、上海市都市軌 道交通システム(1本のリニアモーターカーと5本の地下鉄が乗り入れる)の中核駅、公共バス(長距離バスと市内バス)ターミナル、タクシー乗り場と自家用 車駐車場など、各種近代的交通手段の相互乗り換えが可能な機能を備え持っているのである。完成後の1日利用者数は、なんと110万人に上るという。
筆者はかつてフランス・パリのシャルル・ド・ゴール空港駅を見て感心したことがある。国際空港に鉄道在来線とTGV(フランス版新幹線)が乗り 入れており、利便性に富んでいるからである。そのときから筆者の頭から離れなくなったのは、高速鉄道と国際空港との一体化による利便性のことである。長年 居住している日本のことを熟知しているからこそ、歯がゆい思いで日仏高速鉄道の違いを見比べていたのである。しかし、上海虹橋複合的ターミナルのスケール は、あのフランスの「傑作」を遙かにしのいでいるのである。
国際空港に降り立った旅行者の視点から考えてみよう。虹橋国際空港の到着ロビーにかけられる案内板には、「高鉄(高速鉄道)・磁懸浮(リニ ア)・地鉄(地下鉄)・長途汽車(長距離バス)・公交車(市内バス)・出租汽車(タクシー)」と各種矢印が記されている。これはまるで、東京駅に羽田国際 空港と新宿西口高速バスターミナルを足して、さらにプラスアルファを付けたようなもの。まさに利便性抜群で、これこそ国際化大都市としてあるべき形、と旅 行者は感心するだろう。
こんな近代的交通総合ターミナル、世界で初めて新幹線を走らせた日本で、なぜ作れなかったのだろう。千葉の田んぼに成田国際空港(1978年開 港)、泉州沖に関西国際空港(1994年開港)、そして愛知県常滑市に中部国際空港(2005年開港)。乗り継ぎ不便で悪評が高い日本の国際空港。むろ ん、新幹線が乗り入れる空港駅は皆無。一時、前原・前国土交通相は新幹線の羽田乗り入れをJRに打診したが、JR側はダイヤ過密などを理由に難色を示した とされている。
日本的新幹線設計思想の遅れ、鉄道行政と航空行政の縦割り構造の弊害。そもそも、「外国人を新幹線に乗せよう」という発想、日本の関係省庁と鉄 道関係者に全くないのではないか。近代的国土開発という視点からの交通整備としてあって当然の発想なのに。成田の教訓から中部空港の失敗まで、三十数年も かかって、想像力の欠乏症はいっこうに直っていない。もしも、上海の虹橋プロジェクトが近未来的というのならば、日本の新幹線・国際空港の建設・利用理念 は中近世的、といわざるを得ない。
実は、上海も苦い教訓を味わわされていた。「動車組」という準高速鉄道が一世を風靡していた2006年に、上海市は高速鉄道の始発駅として、上 海市南西部に「上海南駅」を建設していた。もちろん、空港からも離れ、地下鉄や公共バスとの接続も限られていた。ところが、急速な経済成長と都市化、さら に高速鉄道技術の開発と建設の加速などで、落成したばかりの上海南駅はあっという間に時代遅れとなった。
そこからの方向転換は素早かった。時速300キロ超の上海-杭州線、上海-南京線の開通に合わせ、市中心から15キロ距離の虹橋が新ターミナル の建設地に決まった。しかも、鉄道とか、航空とか、そういった枠組みをすべて取っ払い、急増する旅客輸送の需要に合った立体的交通総合ターミナルの革命的 発想が実った。実は今も、「虹橋枢紐」周辺に広大な開発用地が広がっている。上海虹橋の次の一手とは何か。早くて3年、遅くても5年ほど経ったら、そこに もう一つの「奇跡」が現れるのかもしれない。「虹橋革命」はこれからも続く。