
王曙光の中国産業論(3)「虹橋革命」
日本がかすむ、近未来型ハブの誕生
【コラム】 2011/06/30(木) 14:32
北京-上海間高速鉄道が開通し、2011年6月30日始発列車が北京南駅と上海虹橋駅からそれぞれ発車した。これにより、中国の高速鉄道事業は新たな発展期に突入した。輝かしいテープカットが行われる華麗な舞台より、筆者は始発駅・上海虹橋の巨大プロジェクトに目線を奪われてしまう。「虹橋枢紐」(虹橋交通総合ターミナル)が示してくれた近代的交通ターミナルの設計思想と実行力、そして建設スピード。「虹橋革命」と名付けておこう。
旧虹橋国際空港の増築と2号ターミナルの新設に始まった「虹橋プロジェクト」は、2005年立案、2006年建設決定、そして2008年着工から2010年開通までのわずか2年間で、総工費約474億元(1元は約13円)、総建築面積150万平米、ざっと計算すると東京駅(17万平米)と羽田空港(63万平米)合計分の約2個分にもなる世界最大の交通総合ターミナルが誕生したのである。
驚くのは大きさと速さだけではない。鉄道、陸路旅客輸送、航空の三位一体と称されるこの巨大ターミナルは、全国高速鉄道網(時速300キロ超)の主幹線・京滬線(北京上海線)と、「動車組」と呼ばれる準高速鉄道(時速200-250キロ)の始発駅のほか、国際線・国内線のハブ空港、上海市都市軌道交通システム(1本のリニアモーターカーと5本の地下鉄が乗り入れる)の中核駅、公共バス(長距離バスと市内バス)ターミナル、タクシー乗り場と自家用車駐車場など、各種近代的交通手段の相互乗り換えが可能な機能を備え持っているのである。完成後の1日利用者数は、なんと110万人に上るという。
筆者はかつてフランス・パリのシャルル・ド・ゴール空港駅を見て感心したことがある。国際空港に鉄道在来線とTGV(フランス版新幹線)が乗り入れており、利便性に富んでいるからである。そのときから筆者の頭から離れなくなったのは、高速鉄道と国際空港との一体化による利便性のことである。長年居住している日本のことを熟知しているからこそ、歯がゆい思いで日仏高速鉄道の違いを見比べていたのである。しかし、上海虹橋複合的ターミナルのスケールは、あのフランスの「傑作」を遙かにしのいでいるのである。
国際空港に降り立った旅行者の視点から考えてみよう。虹橋国際空港の到着ロビーにかけられる案内板には、「高鉄(高速鉄道)・磁懸浮(リニア)・地鉄(地下鉄)・長途汽車(長距離バス)・公交車(市内バス)・出租汽車(タクシー)」と各種矢印が記されている。これはまるで、東京駅に羽田国際空港と新宿西口高速バスターミナルを足して、さらにプラスアルファを付けたようなもの。まさに利便性抜群で、これこそ国際化大都市としてあるべき形、と旅行者は感心するだろう。
こんな近代的交通総合ターミナル、世界で初めて新幹線を走らせた日本で、なぜ作れなかったのだろう。千葉の田んぼに成田国際空港(1978年開港)、泉州沖に関西国際空港(1994年開港)、そして愛知県常滑市に中部国際空港(2005年開港)。乗り継ぎ不便で悪評が高い日本の国際空港。むろん、新幹線が乗り入れる空港駅は皆無。一時、前原・前国土交通相は新幹線の羽田乗り入れをJRに打診したが、JR側はダイヤ過密などを理由に難色を示したとされている。
日本的新幹線設計思想の遅れ、鉄道行政と航空行政の縦割り構造の弊害。そもそも、「外国人を新幹線に乗せよう」という発想、日本の関係省庁と鉄道関係者に全くないのではないか。近代的国土開発という視点からの交通整備としてあって当然の発想なのに。成田の教訓から中部空港の失敗まで、三十数年もかかって、想像力の欠乏症はいっこうに直っていない。もしも、上海の虹橋プロジェクトが近未来的というのならば、日本の新幹線・国際空港の建設・利用理念は中近世的、といわざるを得ない。
実は、上海も苦い教訓を味わわされていた。「動車組」という準高速鉄道が一世を風靡していた2006年に、上海市は高速鉄道の始発駅として、上海市南西部に「上海南駅」を建設していた。もちろん、空港からも離れ、地下鉄や公共バスとの接続も限られていた。ところが、急速な経済成長と都市化、さらに高速鉄道技術の開発と建設の加速などで、落成したばかりの上海南駅はあっという間に時代遅れとなった。
そこからの方向転換は素早かった。時速300キロ超の上海-杭州線、上海-南京線の開通に合わせ、市中心から15キロ距離の虹橋が新ターミナルの建設地に決まった。しかも、鉄道とか、航空とか、そういった枠組みをすべて取っ払い、急増する旅客輸送の需要に合った立体的交通総合ターミナルの革命的発想が実った。実は今も、「虹橋枢紐」周辺に広大な開発用地が広がっている。上海虹橋の次の一手とは何か。早くて3年、遅くても5年ほど経ったら、そこにもう一つの「奇跡」が現れるのかもしれない。「虹橋革命」はこれからも続く。(執筆者:王曙光 拓殖大学教授)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0630&f=column_0630_010.shtml