
Vol.1 サハリン
ユーラシア大陸の東端から西端まで列車だけに乗って横断する──。そんな旅に出ることにした。もちろんシベリア鉄道でモスクワまで出れば、それほど難しくはない。しかし今回は、もっと違うルートでユーラシア大陸を横断していく。果たして太平洋に面した街から、大西洋を望む街までたどり着けるのか。
旅はユーラシア大陸の東端の街に向かうことからはじまった。
ワニノ──。シベリアを走るバイカル・アムール鉄道の駅。そこが東端だった。その街までどうやって行くのか。1回目はワニノにたどり着くまでの旅である。

ロシアのウラジオストク航空が成田とサハリンのユジノサハリンスクを週に2回結んでいた。サハリン沖油田開発のため、アメリカ人技術者向けのチャーターフライトが、一般の乗客を受け入れはじめていた。空席が目立つ機内。2時間ほどのフライトだった。

ロシアの飛行機は味わい深い。コーヒーはネスカフェのインスタント。やかんからお湯を注いでもらった。このほうがなんとなくおいしい。なぜだろう。

ユジノサハリンスクは、日本統治時代の豊原あたり。街はロサンゼルスを思わせる味気なさだが、ところどころに日本時代の建物も残っている。これは旧北海道拓殖銀行豊原支店。近代的な街並みのなかで、ここだけ色彩が暗いから、すぐにみつかった。

間宮海峡に面したホルムスクへ。旧真岡。泊まったのは港を見下ろす丘の上に建つホテル・チャイカだった。日本語に訳すとカモメホテル。何カ月も宿泊客がなかったような部屋だった。目覚めると、あたりは霧。それでも草花は小さな花を咲かせていた。

間宮海峡を渡るサハリン7号。貨物の輸送を兼ねた船は、いったいいつ出発するのか、その日になってもわからないというスケジュールだった。小雨のなかを歩いて乗船する。霧が流れる空を見上げながら、「これでも夏か」とつぶやくしかなかった。

僕らにあてがわれたのは外国人用の1等客室。ロシアの旅は、すべてを手配しないとビザがもらえない。だから、こういう部屋になってしまう。もちろん船賃も高い。こんな広い船室に泊まったのは、生まれてはじめてだった。


船は中古の日本船だった。「レストラン」「サロン」といった表示も残っている。と、消火ホース入れに中国語もみつけた。日本船はいったん中国に渡り、そしてロシアに売られたのだろうか。ではなぜ、中国語だけペンキで消したのだろう。サハリン7号のナゾ。





ワニノ駅にウラジオストク方面からの列車が入線する。10両を超える長い編成だ。終点はこのひとつ先のソヴィエツカヤ・ガバニ。東端はこのワニノだが、終点・始発駅はひとつ先という位置関係だ。僕らは始発駅から乗り込んだ。その様子は次回。

ワニノの街中に、小さな自由市場があった。この2匹の魚が売れたら、今日の商いは終わりといった雰囲気だった。これで生きていけるのだろうか。アジアに比べると、シベリアの物資は少ない。商店も少ない。レストラン探しにも苦労した。

この日の気温は21度。白樺(しらかば)林のなかで、女の子たちが日光浴。夏の日差しは貴重なのだろう。でも、もしかしたらこの娘たちも、将来は恰幅(かっぷく)の良い女性になってしまうのか。それが既婚男の酒の量が増えてしまう要因……というロシアのジョークがある。

夏真っ盛り。牧草地の草が、一斉に花をつける。あたりにはミントのような香りが漂っていた。これが夏のシベリアの匂いなのだろうか。短い夏の間に、植物は種までつくらなくてはならない。そのエネルギーに圧倒される。
※写真は2010年7月1日~7月3日の取材で撮影したものです※各国の現在の情勢については、外務省の海外安全ホームページなどでご確認ください
(更新日:2011年01月28日)
http://doraku.asahi.com/earth/clickdeep/110128.html
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ロシアには、
ペットボトル入りのビールなんてのがあるんだねぇ。
それも、1.5Lや2Lですと?
(;゜д゜)
コーラじゃあるまいし。
さすが露助。
つい最近までビールが酒じゃなかった国は違いますな。
(;´-ω-)
・・・さっさと南樺太と千島を返しやがれ。
( ´-д-)凸
~ 以上 ~